組み込みエンジニアのSEとして、自動車業界から物流業界へ。人が安心できる空間を提供するために|転職体験談
転職前
- 職業
- 自動車メーカー
- 職種
- システムエンジニア
- 従業員規模
- 15,000名
- 年収
- 700万円
転職後
- 職業
- 物流
- 職種
- システムエンジニア
- 従業員規模
- 500名
- 年収
- 550万円
目次
カズオさんの転職ストーリー
1これまでの私
充実した組み込みエンジニア(SE)の仕事、そして大好きな家族。
大学を卒業した後は、希望していたSEの世界に入りました。
SEとは
SEは、クライアントにヒアリングを行い、要求に最適な仕様のシステム開発を行います。また、開発現場において、システム設計やプログラミングなどの業務を担当します。
就職先は、某大手自動車メーカー。車の制御装置に関わるのが主な業務で、仕事にはとても充実感を得られていました。
SEとして数年を過ごした後、当時お付き合いをしていた彼女と結婚。子どもも授かりました。
仕事の状況によっては朝早く家を出て、夜遅くまで仕事に励むこともあります。帰宅すると夜中、なんてこともしばしばあり、休日出勤もざらでした。
それでも仕事自体は好きですし、何より私には家族という存在があるので、そんな忙しい日々も全く苦になりませんでした。むしろ、家族のためと思えば、そんな仕事に追われる日々も楽しんでいたと思います。
給料も同世代と比べてもまあいい方でした。それ以外においても、特に何の不満もない生活を送れていました。
2転職のきっかけ
コロナ禍の影響を受け、事業縮小。私には子会社への異動辞令。
大学を卒業し、組み込みエンジニアのSE一筋で働いた20年。
好きでやっている仕事だったことはもちろん、「この分野では誰にも負けない」という自信とプライドもありました。
しかし、2020年に新型コロナウイルスの感染が拡大して、状況が一変しました。
テレビをつければ「倒産、リストラ、感染者数の増大」など、暗いニュースばかり。
当初は「私には関係ないだろう」と、まるで他人事のように捉えていて。
コロナ禍で状況が変わっていることを「自分事」と捉え始めたのは、職場に流れる嫌な雰囲気を感じてからです。業績は悪化していき、会社、そして自分の将来までも不安に覚えてきたのです。
そんな不安は、現実になりました。
- 上司
-
「○○さん、申し訳ないのだが今回のコロナ禍の状況を受けて、君には子会社の営業に出向してもらうことになった」
なんと私は、人事異動の対象になってしまったのです。
かつ、仕事内容はSEから営業と、大きな転換となりました。
「給料は据え置き」という条件でした。こんなご時世で多くの人々が大変な時を過ごしている中、職種は変われど給料は下がらないでいれたのは、まだ恵まれていたのかもしれません。
ですが、SEの仕事が大好きで誇りを持っていた私にとって、これは大問題でした。
「今までやってきたことが、無駄になってしまうのか」という気持ちでいっぱいでした。
そして数日考えて、出てきた結論が「転職」でした。
3転職活動中
自動車業界でなくとも、働ける職場はある。
「家族がいるにもかかわらず、自分のやりがいを理由に仕事を変えていいのか?」――そんな葛藤もありました。
ですが、どうしてもSEの仕事からは離れたくありませんでした。
家族に相談したところ、
- 妻
-
「大変だと思うけど、あなたのやりたいことを尊重する。頑張ってね。」
――と、妻は応援してくれたのです。そこで私は転職を決意しました。
その時の年齢は40代前後、また経済はコロナ禍で不況だったので、転職活動は厳しいものになることは当然覚悟していたのですが、予想以上に厳しかったです。
最寄りのハローワークに行って転職活動をスタート。
最初は前職同様に自動車業界のSEを目指して居ましtが、なかなか上手くいかずに焦りました。
コロナ禍の影響もあって、自動車業界の求人は非常に少なかったです。
また、せっかく書類選考に通っても面接では不採用が続きました。
さすがに自力での転職活動に限界を感じて、転職エージェントの「doda」に登録。
転職活動が全く上手くいかずに自信をなくしかけていましたが、担当のアドバイザーの方から
- 担当者
-
「○○さんの経歴なら仕事はいくらでもありますよ、思い切って業界を変えてみてはどうでしょう?」
と、提案されたのです。
嬉しかったですね。「自分は他の業界でも勝負できるんだ」と。何となく「他の業界も見た方がいいかも」と頭ではわかっていましたが、業界を変える自信も勇気もなかったので。
そんな自分に色々な選択肢を与えてくれたと同時に、背中を押してくれた感じがしました。殻が破れた感覚です。
それ以降は様々な業界にも視野を広げていって。
最終的には物流系の会社で、前職と同じSEとして仕事に就けました。
4転職後
人が安心して、作業できる空間を提供すること。
「SE」という職種は同じですが、自動車メーカーから物流業界へ転職しましたので、最初のうちは大変でした。
これまでは、車一筋で働いてきたのですが、新しい職場では物流センター内での効率化や自動化に関わる仕事になります。
物流業界未経験の私には仕事の流れや仕組みさえ分からない状況だったので、まずはエンジニアの仕事よりも、物流の仕事の勉強からのスタートでした。
しばらくの間は「とにかく、やって覚えるしかない」感覚でしたが、あるとき自動車を制御するシステムを作っていることと、物流センターの稼働システムを構築することに共通項を見つけたのです。
それは、「どちらも、人が安心して作業できる空間を提供する」ということでした。
車なら、もしもの時に自動で危機を退避するための自動制御システム。物流センターでは、従業員の方々が少しでも働きやすい環境づくりのためにシステムをつくる。
「お互い目的は一緒なんだな」――それに気づいた時、モヤモヤした心がスッキリしましたね。それ以降、新たなやりがいを見つけたことで仕事が楽しくなりました。
5その後、どうなったか。
どこで仕事をしても、「誰かの為に」は変わらない。
今回の転職で、「見方を変えれば、景色が変わること」を学びました。これまでの私は、自分の思い込みやこだわりで、自分自身の可能性を閉ざしていたのです。
仕事って結局は、「誰かの為に」がベースになっているんですよね。このことに気づいた結果、今では「この仕事は好きだ、嫌いだ」などと、色眼鏡で見ることがなくなりました。
おかげ様で仕事はもちろんですが、日常生活においても、経験したことがないことに関して、選り好みで物事を選別することなく判断できるようになったと思います。
何に対しても積極的にチャレンジする精神が芽生えたことと同時に、新鮮味を満喫しています。
今回の転職活動では、幸運も重なったことで業界は違えど、同じ職種に就けました。でも今なら、どんな業界・業種の仕事でも前向きに捉えて、受け入れられる気がします。
心が広くなったというか、社会人として、人間として、ワンランク上のステージに立てた感じがしますね。
◇ ◇ ◇
視野が広まったことで、今まで経験できなかったことを肌で感じられているので、新鮮な気持ちでいっぱいです。
正直、毎日が楽しいです。今は何でもいいから、新しいことに何でもチャレンジしたいと思っています。
ですが、やっぱり「誰かの為になること」がしたいです。
現在の職場では、物流センター内で働く従業員の方から「ああしてほしい、こうしてほしい」と、要望を受けます。その要望を元にシステムを構築すると、「重い荷物を運ぶことが少なくなって身体が楽になった」「施設内がごちゃごちゃしなくなって仕事がはかどる」とお礼を言われるのです。
自分が必要とされている実感と、従業員の笑顔が何より嬉しくて仕方ありません。
家族はもちろん、今では従業員の方の笑顔が仕事の原動力になっています。
妻からも、「パパが生き生きしているのが1番」と言ってくれます。
今後は、「誰かを笑顔にできるようなことにどんどんチャレンジしていきたい」――そう考えています。
参考:PG・SEの転職におすすめの転職エージェント[PR]
マイナビIT AGENT
-
公開求人数 約1.8万件(2023年12月時点) 対応職種・業種 IT・Webエンジニア 特徴 - 大手人材会社マイナビが運営
- 自社開発・事業会社系へのエンジニア転職に強み
- 書類添削・面接対策のサポートが充実
公式サイト https://mynavi-agent.jp/it/
プログラマー・SEの転職支援に特化した転職エージェントは多数ありますが、なかでもマイナビIT AGENTは自社開発・事業会社系への転職支援に強みがあります。
幅広い業界でのITエンジニア求人を取り揃えており、ITエンジニア専門のキャリアアドバイザーがあなたの希望に沿った求人を紹介してくれます。
書類添削と面接対策の支援も充実しており、転職慣れしていない人にもおすすめの「じっくり支援型」の転職エージェントです。