『みんなの転職「体験談」。』
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51歳。食品メーカーから有料老人ホームへ転職した俺の運命|私の転職体験談

774 さん(男性 51歳 東京都)
まあまあ成功、
ちょっと失敗

転職前

BEFORE
職業
食品メーカー工場
職種
現場監督
従業員規模
約300名
年収
600万円

転職後

AFTER
職業
有料老人ホーム
職種
介護職員
従業員規模
約50名
年収
400万円

目次

774さんの転職ストーリー

1これまでの私

食品工場の現場監督。気づけばもう50歳。

イメージ図:食品メーカー工場の風景

気づけば、もう50歳になってしまった。人生って、本当にあっという間だよね。

当時、俺は年収600万円稼いでた。自分でも「よくここまで稼げるようになったなぁ」と感心したくらいさ。
でも、東京はホントにお金がかかる。住宅ローンや子ども2人の学費を工面するだけで、もういっぱいいっぱい。貯金なんて全然たまらない。

ただ、妻がパートで働いてくれていたから、生活はそこまで苦しくはなかった。

それから、当時働いていた食品工場では、たくさん惣菜やお弁当を作っていたので、余ったものや使い切れなかった食材をいただけて、食費を減らすのにも助かったんだよね。

ある日、上の子どもが就活を始めるようになって、「お父さんはどうして食品工場で働くことになったの?」って聞かれたんだ。で、「うーん、なんとなくかな」って答えた。
だって、ホントにこれといった理由がなくて、条件が良さそうだから決めただけだったから。

俺が当時いた食品工場は、コンビニとかスーパーに卸す惣菜やお弁当を作ってて、365日24時間稼働していたんだ。
「好きな時間帯に働ける」「長時間働ける」「たくさん稼げる」ってのがウリだった。それに惹かれて入社してくる人が多かったんだよね。まあ、俺もその一人だったけどね。

2転職のきっかけ

評価は下がって、威圧感ばかりが増していく。

イメージ図:食品メーカー工場の風景

当時働いていた食品工場では、たしかに、好きな時間帯に、好きなだけ働けた。ただ、これができたのはアルバイトの人たちだけだった。

入社して3年後、正社員になってからは色々な制約が出てきて、実際は長時間働いても、申告する労働時間は少なくしなきゃならなかった。

食品工場を365日24時間稼働させるためには、人手が必要だから時給を上げて募集するんだけど、なかなか人が集まらない。
人材派遣に頼んでも人が足りなくて、外国人労働者を雇ったんだけど、育った環境や文化が違うと、やっぱり意思疎通が難しかった。

そのうち、作った惣菜やお弁当が盗み食いされるようになっちゃってね。何度注意しても直らないから、監視カメラを設置して見張ることになったんだけど、その負担が俺に重くのしかかってきたんだ。

どういうことかっていうと、監視カメラの映像を見てると現場から離れなきゃならず、元々の仕事が遅れてしまう。
でも段々と盗み食いがなくなってきて、外国人との間にも信頼関係ができてきたんだけど、そしたら今度は「家族も雇ってほしい」って頼まれるようになったんだよね。

結局、その人たちの家族を雇ったけど、今度はその家族が入れ替わりでまた食品を盗むようになった。

大量に盗み食いされると納品に不足が出るからと、工場はそれを見越して多めに作ることになった。そうすれば当然、利益は減る。そして、俺の評価も下がる。

食品工場では、立場に関係なく全員がマスクと帽子、そして白衣を着用する、だから誰が誰だか分からないんだけど、更衣室に行くと白衣を脱いで体中にいかついタトゥーをぎっしり入れた作業員が何人もいることを知るわけで、そしてそいつらは皆、俺の部下だった。

会社からは「生産性を上げろ」と言われ、現場スタッフからはタトゥーで威圧されてるような気持ちで、そのころの俺は段々と、思考停止状態になっていったんだ。

3転職活動中

俺の家族が「お金を稼ぐこと」より優先したこと。

イメージ図:転職活動で求人サイトを見る50代男性

とにかく、毎日が忙しかった。だから、余計なことを考える余裕がなかった。
──いや、正直にいうと、面倒なことはご免だった。
たとえば、「今の仕事を辞めてほかの会社に転職する」とか、そういうこと。

それでも転職を考えざるをえなくなったのは、ある日仕事中に倒れてしまって、更には診てもらったドクターに「仕事がストレスになっている」と指摘されたからだ。
「余計なことを言いやがって」と思ったけど、結局その指摘があったから、はじめて自分と職場環境を客観的に考えることができるようになった。

今の職場で働く10年先はおろか、1ヵ月後のイメージもできなかった。
つまり、俺はとっくに限界を超えて働いていたんだ。

体力を回復したのちに転職のことを家族にほのめかすと、妻や子どもたちから「そのほうが良いよ」と言われた。
理由は、ここ数年俺はいつも疲れた顔をしていて、家族たちとも「うん」「ああ」「そうだな」くらいしか会話をしていなかったそうだからだ。

愕然としたね。自分では家族と結構コミュニケーションを取る方だと思ってたから。
自分から映る世界と相手から見える世界がこうも違うのかと、ただただ驚いた。

ありがたかったのは、家族が食品工場の仕事で忙しい俺に代わって、次の仕事を探してくれたことだ。そして、お金を稼ぐことより、俺が休めることを最優先に考えてくれた。

もちろん、住宅ローンの支払いや子どもの学費にお金がかかるため、最低限は稼がなくちゃならない。
妻のパートタイムの時間がほぼフルタイム同様になって、とうとう俺の扶養から外れることになった。家事もほとんど妻がやっていたので、さすがに申し訳なさでいっぱいになった。

食品工場の仕事を続けながらの転職活動だったため、時間は限られていた。
仕事を終えて家に帰ると、食卓には俺のご飯と一緒にノートパソコンが置かれてる。
パソコンを開くと、子どもが選んでくれた転職サイトにつながり、画面には「あなたが希望する仕事は〇〇件該当します」と表示される。妻が用意してくれたご飯をいただきながら、該当する仕事の内容をチェックする──そんな日が数週間続いた。

アラフィフの俺にできるかな?」、「資格がなくても働けるのかな?」と疑問に思ったことを、該当した会社のいくつかにサイトから聞いてみたんだ。すると、そのうちの一社から「50歳以降で、未経験でも就労可能です」と返事が届いた。

悩んだり迷ったりしても歳は若くならない。
転職活動を始めた当初から、51歳の誕生日が来るまでの約2ヶ月間で転職先を決めようと決めていた。

そして、転職サイトを通じて俺のつたない文通に最後まで付き合ってくれたのは、有料老人ホームを運営する介護事業所だった。

4転職後

相手の目を見て話すこと。「ありがとう」と言われること。

イメージ:有料老人ホームで働く50代男性

以前働いていた食品工場は、人の出入りが頻繁だったけど、転職した有料老人ホームはかなり制限されていた。利用者さんに悪いウィルスが感染しないようにするためだ。

介護職に就いて最初に言われたのは、利用者さんの目を見ること。スタッフは常にマスクをしているので、目を見ないと表情が伝わりにくいからだ。

マスクをするのは、以前の職場である食品工場と同じだった。

コミュニケーションの難しさも似ていた。前の職場では外国人スタッフと意思疎通が難しかったけど、今の職場では認知症が進んだ利用者さんがいて、コミュニケーションが難しいことがある。

以前の職場では、「売り物の総菜食べたでしょ?」と聞いて「食べてないよ」と嘘をつかれた。今の職場でも、「ご飯は食べたでしょ?」と聞くと「食べてないよ」と言われる。

食品工場では、スタッフは黙々と働いていた。介護施設でも、スタッフが黙々と働くのは、数をこなさないと仕事が終わらないからだ。

365日24時間稼働していた食品工場が慢性的な人手不足だったように、利用者さんが暮らしている介護施設でも人手不足が続いている。求人を募集しても、食品工場以上に人が集まらない。言葉が通じないと介護にならないため、労働力を外国人で補うことも難しい。

食品工場では余った食材などを無料でいただいていたけど、介護施設では、食中毒の配慮から余った食材は全て廃棄されている。医療機関と違い、利用者さんが治って施設を出ることは稀で、ほとんどは辛い別れが待っている。

そして、利用者さん達はことあるごとに俺たちスタッフにこう言ってくるんだ。

ありがとう」って。

この言葉が、今の俺にとって一番の、働く励みになっている。

5その後、どうなったか。

これから先の、俺の「運命」。

イメージ図:人生の「白秋」

前職の食品工場も現在の介護施設も、マスクをして働いており、どちらも慢性的な人手不足だ。

このことを妻に話すと、「人手不足の職場でマスクをして働くのは、あなたの運命なのよ」と言われた。運命か…。

介護施設には、「運命待ち」の利用者さんがたくさんいる。その運命がいつ来るかは誰にも分からないが、確実にやって来る。もちろん、私にも、妻にも、子どもたちにもやって来る。

そんなことを思いながら働いていると、前職で外国人労働者たちと知り合ったのも、運命だったのかなと思うようになった。
彼らとのコミュニケーションにはとても苦労したけれど、たまに意思疎通が取れたときは正直嬉しかった。信頼関係について考えるきっかけにもなった。

そして、転職を家族に伝えるまでは、うちの家族はバラバラだった。

以前働いた食品工場では一度もなかったことだが、介護施設で働きはじめてから、妻や子どもたちが職場に来るようになった。
そんな私のことを、たまに利用者さんたちが微笑ましそうに眺めている。

◇ ◇ ◇

食品工場で働いていたときより200万円も給料が下がった俺のことを、家族はどう思っているのか心配だったが、娘に言われたのは「今の父さんのほうが良い」という言葉だった。

収入は減っても、今回の転職をきっかけに家族の会話は増えた。転職活動で身につけた知識が娘の就職活動に活かされ、娘は希望する仕事に就けた。

うちにはまだ学費がかかる子どもがおり、この子が自立するまでは、何がなんでも稼がなくてはならない。
幸い、今の職場には医療スタッフが常駐しているため、不安なく働ける。あと10年ほどは現役で働けるだろう。

これから先、私にどんな運命が待っているのかは分からないが、職場の利用者さんを見ていると、さほど悪いものではなさそうに思える。

どんな状況でも、幸せそうに生きる人はいる。それを、俺は利用者さんから教えてもらったからだ。

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