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汎用系エンジニア(COBOL)でやってきた私が、オープン系のエンジニアに転職して|私の転職体験談

タコHIGHボーイ さん(男性 43歳 神奈川県)
ちょっと成功、
やや失敗

転職前

BEFORE
職業
ITシステム開発
職種
システム開発・保守
従業員規模
10,000~20,000名
年収
500万円

転職後

AFTER
職業
特許事務所
職種
社内SE
従業員規模
50名
年収
300万円

目次

タコHIGHボーイさんの転職ストーリー

1これまでの私

41歳で転職するまで、ずっとエンジニア一本でした。

40代エンジニアのイメージ

地方銀行向けの収益管理システムパッケージの、適用・開発・保守を担当していました。

基本的にコツコツタイプで、人前で説明したり説得したりするのが得意ではない方でした。
ですので、どちらかというと黙々と作業をするような、開発寄りのSEをしていました。

だからといって、大人しく陰キャラのようなタイプではなく、オープンな性格だと(私自身は)思っています。

家族は妻、小学生の息子、保育園児の娘の四人家族構成でした。

妻も正社員でしたので、当時世帯収入は平均の二倍はあったのではないかと思います。

40が近づいたあたりから仕事に「行き詰まり」感を持つようになりました。

何と言いますか、異動や昇進もなく、人間関係も良いわけでもなく、常に重たくのしかかるようなストレスを感じていて。

寛容な妻に甘えて、私はそのストレスをお金を使って発散するような生活をしていました。

物欲を満たすことでなんとか日々を過ごしていた──そんな時期でした。

2転職のきっかけ

希望の見えない職場に、とうとう見切りをつけて。

不況のイメージ

私の部署は、不況のあおりを受けて売り上げ低下の一方を辿っていました。

フロア全体も、何と言いますか、澱んでいましたね。
モチベーションもずっと低下気味でしたし、人間関係もややぎくしゃくしていて。

そんな部署に、私は入社以降ずっと在籍していました。

(いつまでこんな状況で働き続けなければならないのだろうか…)

そんなことを毎日考えていました。「これから先の人生の希望が、まったく見えない」──そんな状態でした。

そんな折、2014年に早期退職勧奨制度による早期退職者の募集が掛かりました。

なんと退職金を上乗せしてくれるという特典付きです。

先の理由に加えて、パワハラ気味の上司とのそりも合わずに長年働いてきたこともあって、

(もう潮時か…)

と思い、私は退職希望を出しました。

同期が主任となって数年が立つのに自分は一担当者のままでしたし、

(このまま昇給もせずに、引き立て役のような形で働き続けるのもいい加減バカバカしい…)

という気持ちもありました。

3転職中

41歳、初めての転職活動。

転職活動中の40代男性イメージ

早期退職の特典として、人材派遣サービス会社の転職サービスを無料で一年間受講できるという制度がありました。 退職後は失業手当給付金をもらいつつ、転職サービス会社に隔週で通うという形でした。

サービス中は専任のコンサルタントの方が付いてくれて、履歴書や職務経歴書の書き方、面接の練習まで様々な形でフォローしてもらいました。

特に驚いたのは、履歴書に貼付ける写真に物凄く気を使わないといけないという点でした。

この写真屋で撮影すれば間違いないというところを紹介してもらえたりして、こんな細かい点にまでこだわらなけらばならないかと、目から鱗が落ちる思いでした。

最終的には転職サイトの応募から再就職先が決まったのですが、コンサルタントの方に指導していただいたことが活きたのだと思い、この点は凄く感謝しています。

転職サービスを無料で利用できたのも、今ではありがたかったと思っています。

4転職後

上司から「あなたに任せる仕事はない」と言われて。

社内SEの職場イメージ

私が転職した職場は、特許事務所です。

そこで、社内SEとして採用されました。

場所は東京のど真ん中といえばいいのでしょうか。
私の住居から約1時間半くらい通勤に掛かる場所でした。

元の職場は1時間以内の通勤でしたので、結構通勤には苦労しました。

職場で求められるのはオープン系の言語による開発力でした。
(※ オープン系…システムの分類の一つです。最近のコンピュータ・プログラムで動作することを想定して作られる業務システムを指します)

私はこれまで、「COBOL」という古い言語で開発を長年やってきたので、正直オープン系の言語には殆ど理解がなく、例えば上司から

上司

「こういった簡単な機能のアプリケーションソフトをサンプル(練習)として作ってみてください」

といわれても、要望に沿った成果物をなかなか作り上げることが出来ず、非常に辛い思いをしました。

職場の社内SEのリーダーは女性の方で、最初は私に対して歓迎ムードでした。
ですが、なかなか仕事をスムーズに出来ないでいた私に段々とイライラが募りはじめ、他の簡単な作業にまで細かい文句を付けるようになってきました。

そして日が経つにつれ、その指摘は段々厳しいものになっていきました。──ある時、会議の席で、

リーダー

「正直、あなたに任せる仕事はない」

と、面と向かって言われました。

まだ契約社員の状態でしたので、これは難しいなと感じ事務所の所長に相談のうえ、私は退社することにしました。

5その後、どうなったか。

転職を失敗して、今思うことは。そして現在の私の状態。

キャリアプラン、ライフプランを考える40代男性イメージ

何事もそうなのかもしれませんが、やはり正しい方向性の努力が大事だなと感じました。

基本的には個人の実力、やる気が主となるとは思いますが。

有識者のサポートを得れるかどうかで、結果は大きく違ってくるように思いました。

転職活動については正しい方向性での努力は出来たように思います。

40歳を過ぎて転職して正社員になれるとは正直あまり期待していませんでしたので、最終的には退職してしまいましたが、採用の通知が来たときは本当に嬉しかったです。

ただ、あとは職場の人間関係も大事だなと感じます。

特に、最初に余り良い印象を受けなかった人と仲良くなれることが私は少ないので、その辺が前職にせよ転職先にせようまく立ち回れなかった点は反省すべきかなと感じます。

◇ ◇ ◇

転職失敗後は派遣をしたりして糊口をしのいでいます。

派遣契約が切れたときは在宅でできる仕事などをこなしていますが、正直な気持ちとしては正社員に戻りたいという想いはありません。

10数年働いてきた職場で得た技術というのはもはや時代遅れのものですし、再度オープン系の仕事にチャレンジさせてもらえるような寛容な職場など皆無だと思います。

全ての職場を知っているわけでもないので、私の小さな経験からしかものを言えませんが、今の日本の職場は人が攻撃的で、弱肉強食の蹴落としあい、責任のなすりつけ合い、力が正義みたいな感じで、魅力を感じません。

1998年に新卒で入社した頃は古き良き昭和の職場を感じましたが、ITバブル崩壊、小泉改革、リーマンショックと経て、ますますギスギスしているように感じます。これは派遣先のどこの会社でも感じます。

今後の未来像としては、基本は派遣をしつつも、株式の投資やブログなどで収入の入り口を増やし、最終的には派遣にお世話にならなくても良いようになるのが理想です。

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