私の転職体験談:鉄道会社の駅長からすし職人へ転職。海外への展開を目指して。
転職前
- 職業
- 運輸業
- 職種
- 駅員
- 従業員規模
- 600名強
- 年収
- 550万円
転職後
- 職業
- 飲食店
- 職種
- すし職人
- 従業員規模
- 35名
- 年収
- 450万円
目次
タモリンさんの転職ストーリー
1これまでの私
小さい頃から、電車の運転士になることに憧れて

私は東京で生まれ育ち、父と母、5歳離れた兄の4人家族で何不自由なく生活していました。
子供のころから電車が好きで、「将来は電車の運転士になるのが夢」という、どこにでもいるような子供でした。
高校卒業後、夢であった鉄道会社に入社し、駅員として職務に励む毎日を送っていました。
駅員を5年務めた後、駅長昇格試験にも合格し、小さい駅での駅長に任命されました。
東日本大震災も職務中に経験しました。家に帰れない毎日を過ごし、たくさんのことを考えるきっかけとなりました。
──今思えば、とても貴重な経験をしたとも思っています。
就職してからは、ずっと一人暮らしで、彼女がいた時もありましたが基本的には一人で悠々自適な毎日を送っていました。
2転職のきっかけ
「海外で生活したい」という気持ちが募っていって──。

26歳ごろから、仕事も生活も余裕が出てきた私は、有給休暇を利用して、海外旅行に出かけるようになりました。
いつも1人の旅行で、特に東南アジアの国々を回っていました。
特に英語がうまいわけでは無いのですが、1人でなんでも出来るような気がして、タイやミャンマー、ラオスなどの国々を転々としていました。
それが何回も続いてくると、現地に友達もでき、旅行するたびに遊んだり、寝食を共にしたりして、とても楽しい日々を送っていました。
そして私の気持ちに一つの変化が生まれるようになりました。
それは、
- 私
-
「海外で生活したい」
という気持ちでした。
ですが、そうは言っても今の日本の生活に不平不満がある訳ではありません。
「ただ思っただけで実行に移せない」──そんな毎日を送っていました。
しかし、海外で生活したい思いは日に日に増していき、そして28歳の時に会社を辞める決心をしました。
なぜなら、一生は一度だけだから。
バカなことをしていると皆には思われたでしょうが、30歳を前にして、
- 私
-
「やるなら今しかない。一生を日本で過ごすのはつまらない」
と思って、私は退職したのです。
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3転職活動中
退職後に待ち受けていた、様々な「壁」。

会社を辞める決心をして、上司にも伝え、会社を辞めて海外で生活するための方法を考えました。
英語は旅行で使う会話くらいは話せましたが、レベルは低く、他のスキルも無い状態でした。
これでは海外に行っても何もできないと感じた私は、何かスキルを習得しようと思いました。
その時に、和食が世界遺産となり、海外では和食ブームが起きていることを考え、「和食の調理人になれば海外でも仕事が出来るのでは」と考えました。
そして、和食の中でもお寿司の人気が高いことを知った私は、1年で寿司が学べる東京すしアカデミーに入学し、1年間みっちり修行を行いました。
1年間の修行が終わり、海外での転職活動を始めましたが、乗り越えないといけない壁はたくさんありました。
まずはVISAの問題、そしてアジアの文化圏における壁も感じました。
海外で仕事や生活をするためには、VISAを取得しなければいけません。
VISAの種類や内容は国によって違いますが、やはり調理師の免許が必要と分かり、調理師は2年間の調理経験が必要なため、すぐには海外に行けない。
そして出来れば東南アジアの国に行きたい私でしたが、アジアでは人件費も安く、人件費が高い日本人を雇ってくれるレストランは少ないのが実情でした。
そのため、当時アルバイトをしていた学校の系列の寿司屋の店長のご厚意で、卒業後も継続してアルバイトをさせて頂くことが出来、1年後には調理師の免許を取ることが出来ました。
その間も寿司JOBという転職サイトで東南アジアの求人を探す毎日を送っていました。
4転職後
新天地で、すし職人としての活動を始めることになって。

調理師の免許を取得後もアルバイトをしながら転職サイトで求人を探す日々を送っていましたが、経験不足もあり、なかなか就職先が見つかりませんでした。
30歳となり、
- 私
-
(このままアルバイト生活のままだときついぞ・・・)
と不安になることも多くなりました。
そこで、他の道も含めて模索していた時、東京すしアカデミーの社長から、
- 社長
-
「大阪で新しい事業をやるから、社員として働かないか」
と誘われたのです。
私は、「将来的には社員として海外店舗を任せてほしい」という意向も伝えて頂き、社員となる決心をしました。
社員として転職後は、大阪の店舗の立ち上げを料理長と一緒に行い、毎日朝から晩までメニューの試作や買い付けを行っています。
大変な毎日ですが、とても充実した日々を送れています。
開店後もおかげさまで繁盛していて、毎日忙しく働いています。
5その後、どうなったか。
キャリアチェンジを振り返って、今思うこと。そして、これから目指していきたいこと。

今回、全くの異業種に転職し、調理師という道の楽しさに酔いしれています。
前職ではただ毎日が平凡に過ぎていましたが、今は新しい発見が毎日起こります。
例えば、まかない料理を毎日作るのですが、一つの手順を工夫するだけで素材の食感や味が変わり、完成品が全く違う料理に変わります。
これはお客様への料理にも関係してきて、今後の新メニューや既存料理の改善にも使えるので、今は知識をどんどん蓄えたい気持ちでいっぱいです。
後悔していることは、もっと早く決断していれば良かったと思う事です。
早い方は高校卒業後、すぐにこの道に入る方もいて、年下であっても先輩という方もいます。
悔しいですが知識は先輩のほうがあるので、教えを乞うていますが、もっと早くこの道に入ればよかったと思っています。
◇ ◇ ◇
現在は、元々の目標であった海外に出るために、英語の向上はもちろんですが、和食以外の調理法を勉強しています。
日本で寿司をやるなら日本人の舌に合わせればいいだけですが、海外に行くと、その現地の方やその他の海外のお客さんにも満足してもらう調理をしなければいけません。
そのためには、現地の調理法やフレンチやイタリアンの技法を取り入れ、どんなお客さんが来ても「美味しい!」と言ってくれるような調理人となりたいと思っています。
未来像としては、海外で料理長として、色々な国の弟子を持って、その弟子に対して持っている全ての知識を教え込むと共に、その色々な国の弟子からも知らない知識を教えてもらい、自分の調理法をどんどん幅広くしていきたいと思っています。
今回転職して一番うれしかったのは、「知識を得ることが、こんなに楽しいものなんだ」と実感出来たことですね。