『みんなの転職「体験談」。』
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49歳営業職、50代を目前にしての転職。年収250万円ダウンしても「良かった」と思えるように。|私の転職体験談

osavivi さん(男性 49歳 埼玉県)
ちょっと成功、
やや失敗

転職前

BEFORE
職業
プラスチック製造
職種
営業職
従業員規模
150名
年収
600万円

転職後

AFTER
職業
カーセールス
職種
営業
従業員規模
25名
年収
350万円

目次

osaviviさんの転職ストーリー

1これまでの私

「モノづくり」の世界に憧れて

モノづくりのイメージ

2021年6月に、私は転職しました。

それまでは、プラスチック製造業の会社に営業職として勤務していました。
金型受注から量産成型、組み立て受注までの一貫生産を請け負う中小企業です。

学生時代から「何らかのモノづくりにかかわる仕事に就きたい」と思い、経営者との縁もあって雇用して頂きました。

製品の構想段階から、金型製作の検討、その金型を用い、設計値通りの製品をまとめ上げる過程を担当することは私にとってまさに「モノづくり」でした。

簡単な製品から難しい製品まで多種多様ですが、難易度の高い部品を計画に沿って進行し、部品同士を組み合わせて完成するユニットが計画通りに作動できた際の達成感は格別でした。

家族構成は妻と子ども二人です。
勤務先は自宅から100キロほど離れていましたので、単身赴任をしていました。

40も過ぎると、平日の夜ひとり過ごすのはなかなか寂しさも感じるものです。
週末は自宅に帰って妻、子どもとのひと時を過ごせることが、何よりもの楽しみでした。

2転職のきっかけ

刻一刻と、変わりゆく状況。

考えるイメージ

当時私の担当していたお客様は、会社の売り上げ比率の30%を占める大口顧客でした。
そのお客様の案件すべて、私が担当していました。

ほぼ一人で進行管理を行い、量産直前の段階までまとめ上げることが私のメインミッションでした。
業務量は多かったですが、その分給与にも反映されていたこともあり、「任されている」という自負を持って取り組めていました。

ですが、45歳のときに息子が難病にかかって、私は息子の入退院のサポートをする必要が出てからはそれまでのような働き方はできなくなりました。

顧客の担当は引き続き私は受け持ちましたが、担当赴任は解除してもらい、自宅での在宅勤務をベースとして月に数回出社するという形に変えてもらうことにしました。

これまで1人で回していた業務を現地のメンバーに応援要請をしながら進めていく必要があったのですが、もともと私は「一人管理職」で直属の部下がおりませんでしたので、これには大変苦労しました。

依存するメンバーには別の主業務があって、なんとか合間を縫って私の業務を手伝ってもらう形になるのです。当然予定通りに進行することはなく、繁忙期は週に3日は片道100㎞を通勤して現地対応することでなんとか帳尻をつける──といった具合でした。

息子の病状はあまり芳しくなく、私自身も仕事に集中できない時が多くなりました。
直属の上司との関係性が悪化したのも、ちょうどこの時期でした。

私のパフォーマンスが落ちてきたこと、そして在宅勤務ということもあってコミュニケションの頻度が減ってしまったことも要因としてあったと思います。

上司からは厳しいフィードバックと更なる業務を伝えられることが増えて、私の方は息子のサポートと頻繁な長距離通勤対応で身も心も疲弊しきっていました。

あるとき、私は妻に「転職しようと思う」と言いました。

妻は私の状態を察していましたので、「それが良いと思う。まずは、少し休息期間を取ってみたら」と言ってくれました。

そして私は、50歳を目前にして20年以上勤務した会社を辞めることにしたのです。
次の職は、まったく決まっていませんでした。

3転職活動中

早く職を決めたい。だけど、なかなか決まらない。

転職活動のイメージ

会社を辞めてからの転職活動でしたので、当然その期間は無給になります。
休息期間を取る余裕などはなく、「早く次の職場を見つけないと」というプレッシャーが大きかったです。

前職では結局上司との関係性はこじれたままでした。
狭い業界でしたので新しい職場でもなにかと干渉があるかもしれないと思い、私はこれを機に別業界への転職を考えました。

いくつか転職エージェントに登録しましたが、年齢のこともあってかあまり協力的な反応を示してくれませんでしたので、自宅付近のハローワークを活用するようにしました。

これまでに「職」と言えるような資格は持っていなかったため、どの分野に転職すべきか悩みましたが、学生時代から自動車に傾注していた経緯があり、転職活動の途中で自動車産業にアプローチしようと方向性をシフトしました。

当時、2021年4月はコロナ禍で企業の採用意欲も低下気味でした。
転職タイミングとしてはあまり望ましくないであろうことは承知して臨みましたが、「無資格」「自分の特徴は何か」「自分がどうしたいか」「人脈の乏しさ」をアピールすることの難しさを実感しました。

とくに「年齢の壁」は非常に重く作用しました
「あと10歳若ければ…」との考えもよぎりましたが、家庭事情、職場事情の方向性の違いがきっかけであったため、「なんとしても家族を養うための活動」として頭を切り替えて対応しました。

とくに悩ませたのは、書類選考でした。
立て続けに5社から面接手前で不採用の通知が届いたときは、気持ちが折れそうになりました。

ですが、何も行動しなければ状況は悪化する一方です。私は今の現実を鑑みて「書類選考なし」の会社にアプローチすることにしました。──当然、そういった会社はあまり待遇の良くないところが多くなります。

それでも、「まずは働き口を見つけることが大切だ」と自分に言い聞かせて活動を続けていって、ようやくとある自動車販売会社から、営業職として雇用して頂けることになりました。

4転職後

新しい職場で、待ち受けていた環境は。

新しい職場

新たな職場環境では、社員の方々に温かく迎え入れて頂けています。
25名ほどの小規模事業ですが、皆さんが前向きに取り組んでおられる少数精鋭といった感じで、人間的に尊敬できる上司の方も多数いらっしゃいました。

仕事内容も、私自身の興味がある対象に深く関わっており、新しい知識や技術が必要な際もそれほど苦にならずに取り組めています。また、知識の広がりにつれてさらにモチベーションが高まっていくのを感じられています。

懸念していることは、やはり「収入面の低下」です。

現在は試用期間中であり、その間3か月は手取り20万円程度になる見込みです。
その後正式採用になった後は28万円程度。
離職前の収入から手取りベースで10万円以上のダウンになります。

妻と子ども2人を養っていくうえでは非常に厳しい状況ですので、少しでも早く結果を出していかなければなりません。

先日、研修期間中ではありながらも車両販売の実践演習があって、ラッキーパンチもあって1件受注獲得となりました。
ですが、当然1件受注できたからすごいということは全くなく、しばらくは下積み期間となるでしょう。

5その後、どうなったか。

「転職して良かった」と思えるように

前向きなイメージ

前職でも私は営業職でしたが、そこでは競合企業も少なく、受注額の多いか、少ないかの差はあるものの案件に対して「失注する」ということは殆どありませんでした。

一方で現在の職場では、競合企業は非常に多く、失注することは日常茶飯事です。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」という言葉にあるように、失注した際には何かしら原因・理由があります。配属先の責任者の方からは所作、考え方、答弁の仕方などがなっていないと連日のようにアドバイスを頂いています。

今はまだ今回の転職について「成功した」と言える段階ではありません。
まずはここで新たな経験を重ねて、「採用してよかった」と会社から評価が得られることができるようになって、そこではじめて私も「転職して良かった」と思えるようになることでしょう。

それまで、前向きに勤めたいと考えています。

◇ ◇ ◇

今の会社は、社員の殆どが「カーセールス」の営業マンとして働いていますが、ひとり整備士資格を持ちながら、販売もこなすツワモノがいます。

私も以前、整備士資格については何度か取得したいと思った時期がありました。
ですが、何かと理由を付けてそのタイミングを見送っていたように思います。

今の会社は「多能」を歓迎する風潮があり、資格取得の際も一定の補助が出されます。私にとっても「スキルアップ=収入増」の可能性もあるため、今度こそチャレンジしてみようかと考えているところです。

もちろん、まずは本業のカーセールスで販売実績を上げていかなくてはいけません。

色々ありましたが、今はとても前向きに働くことができています。
その環境に身を置けることに感謝して、努力を積み上げていきたいです。

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