『みんなの転職「体験談」。』
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40歳で高知県へIターン転職。何かを失っても新しい何かを得られる|私の転職体験談

転職前

BEFORE
職業
美術館
職種
事務職(契約社員)
従業員規模
約30名
年収
150万円

転職後

AFTER
職業
美術館
職種
事務職(正社員)
従業員規模
約50名
年収
360万円

目次

E&Aさんの転職ストーリー

1これまでの私

40歳。美術館の事務員で、給料は手取り13万円。

イメージ図:滋賀県の美術館

気付けば、もう40代になっていました。
結婚はしていません。両親と姉と、4人で生活していました。

転職前の、私の給料の手取りは13万円程度。
少ない給料ながら生活ができたのは、実家暮らしだったからです。

職場は、公益財団法人が運営する美術館。車で30分ほどのところにあって、そこで10年ほど勤務しました。

最初は臨時職員として雇われたのですが、人と接する仕事が思いのほか楽しく、また大好きな美術に関わるやりがいも感じられて、気づけば10年以上働いていました。

30代のときは、生活全般に概ね満足していました。
結婚はしようともしたいとも思っていませんでしたし、旅行に出かけたりドライブに出かけたり。「次の休日に何をしようか」といつも考えて、それを励みに働いていました。

不満と言えば、給料が低いこと。
それから、契約社員となったものの正社員と比べると待遇はかなり違って、昇給がまったくなかったことでした。

2転職のきっかけ

勤務10年目と自身の年齢40歳に区切りをつけて。

イメージ図:40歳男性の給料

10年働けば、誰だって仕事はできるようになります。

新入社員教育の企画なども任されて、業務の幅はどんどん広がっていきました。

ですが、給料はずっと据え置きでした。
正社員で働く同僚と比べて、仕事量は同じくらいなのに、年収は私の方が確実に低い。
大卒で入社した新入社員が、1年目ですでに私の倍近くの給料をもらっていることも知っていました。

そういうのが、40代に近づくにつれて、どんどんしこりになっていったんですね。

決定打となったのが、同期の社員が突然会社を辞めた際に、そのしわ寄せで私の業務量がほぼ2倍になったことです。

何とか仕事をこなしましたが、それでも待遇はそのままでした。
「さすがにこれはないだろう」と思い、私は勤務10年目と自身の年齢40歳に区切りをつけて、転職をしようと決意しました。

3転職活動中

見つけた求人は、車で7時間以上かかる、高知県の美術館。

イメージ図:日本地図。滋賀県から高知県までは、車で7時間

「辞めよう」と決めた後も、在職中に転職活動はしませんでした。

仕事を辞めた後に、「時間をかけてでも、自分にあった、やりたい仕事を見つけよう」と考えたからです。

退職後にまずハローワークに登録して、それから転職サイトにもいくつか登録して、私自身が興味を持てる分野の求人がないかをチェックしました。

とはいっても、「興味を持てる分野」なんて、ほとんどないんです。
これまでずっと美術館で働いていたから、「また同じような環境で働けたらな」くらいしか思いつかず、不毛な求人探しの日々が続きました。

ところが、そんな日が半月も経たないうちに、見つかったんですね。
恐らく、4月採用で内定辞退があったのでしょう、5月採用での正社員枠の求人がありました。

前職と同じ、美術館の事務職の仕事です。
大きく違ったのは、勤務地が高知県ということ。私の住んでいる滋賀県から車で7時間かかる場所でした。

当然、実家通いは無理でしょう。
ですが、こうも考えたんですね。「仕事だけでなく、生活スタイルも一新する、良い機会かもしれない」と。

たまたま知り合いが住んだことのある土地でしたので、地域事情についていろいろ教えてもらい、参考になりました。

応募したところ、前職の経験を買われて晴れて採用です。
全くの新天地で、そして私の正社員としてのキャリアが、スタートすることになりました。

4転職後

新しい職場で経験したことは、「人間関係の、風通しの悪さ」

美術館の事務仕事イメージ

高知県の美術館で働くことになって、まず思ったのが「人間関係の、風通しの悪さ」でした。

私は事務職(資金調達課)の配属だったのですが、課内の人たちは「昔から地元で暮らしてました」という人ばかりで、いきなり他県からやってきた私に対してはよそ者扱いでした。

ゴシップネタと上司への陰口の話が多く、話に入ってくのにもストレスがたまりました。

ちょうど同じ時期に、県からの天下りでやってきた人が私の直属の上司となりました。
温和でいい感じの男性ではあったんですが、課内の人たちから総スカンを受けてしまい、3ヶ月後には出勤しなくなりました。

直属の上司がいなくなって、代わりに私の指導係となったのが事務所の「お局」的存在の50代の女性職員でした。

仕事以外に目を向けると、新生活はなかなか楽しかったんですね。
見る風景がすべて新鮮で、まるで世界が広がったような感覚。40歳を超えてこういうワクワクした気分を味わえたことは、とても良かったです。

週末になるといつも、探検気分で県内の名所や観光地を車で回りました。

だけど、仕事ははっきり言ってあまり良くなかった。
その理由は、お局職員。人のことを大声で悪口を言い、気に入らない職員に対してはは「肩たたき」をする風景が日常で見られました。

お局職員の標的は何人かいたのですが、段々と私もその対象になりつつある空気を感じて、このままではさすがにきついと思ってハラスメント相談室に相談しようとしたんですね。

そこで、愕然としました。ハラスメントの当事者であるお局職員が、ハラスメント相談室の担当だったのです。

5その後、どうなったか。

何かを失っても、その分新しい何かを得られる。

イメージ図:台湾の夜景

その後、公的なハラスメント窓口にも相談しました。
ですが、回答はいつも「まずはあなたの会社の窓口に相談してください」でした。何度か連絡したもののたらい回しにされることが多く、そのうち「もういいや」と思ってしまったんですね。

そう、私自身が辞めてしまえばいいじゃないかって。

結局、転職して11ヶ月で、また退職することになりました。

辞めた決断に後悔はないんですが、誤算だったのは「失業保険がもらえなかったこと」です。
その前に退職した際にも失業保険を申請したのですが、ここで勤続年数がゼロにリセットされ、今回の職場では11ヶ月のみしか勤務しませんでしたので、失業手当の給付条件である「12ヶ月以上の勤務」を満たせなかったのです。

ただ、それ以外については「辞めてよかった」と思っています。
職場は常にギスギスした雰囲気で毎日が苦痛でしたし、お局職員との関係も悪化の一途でしたから。

あんな環境でずっと働き続ける人生は御免でした。

それから、短い期間でしたが、新しい土地での一人暮らしは新鮮でした。 シンプルに言うと、「なかなか楽しかった」んですね。

だから、「もう一回チャレンジしよう」という気持ちになれたんだと思います。
40歳を過ぎったって、未知の環境に飛び込んで、そして楽しむことはできるんだって。

◇ ◇ ◇

前回の転職から2年が経ち、私はいま、台湾にいます。

台湾にいる友人が日本語教育学校で働いていて、「一緒に働いてみないか」と誘われたのです。

最初の一年は大変でしたが、現地の言葉にもだんだんと馴染み、今では人生初の海外生活を楽しめています。

結局、現在の仕事・生活を選択する決断ができたのは、前回の転職があったからだと思うんですよね。

正直言うと、2年前に高知の地に移住する際はとても不安でした。
なんていうんでしょう、「今までのモノをすべて失ってしまうのではないか」という感覚。──実際のところ、「今までのモノ」なんて大して積み上げたものはなかったんですが笑。

それよりも、新しい経験ができることの純粋な喜び。この方が断然大きい。 それを思うと、2年前の転職は決して無駄ではなかったと思えます。

何かを失っても、その分新しい何かを得られる」、そう考えられるようになりました。

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