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転職体験談:居酒屋店長から食品工場のライン責任者へ。

やまた さん(男性 30歳 静岡県)
まあまあ成功、
ちょっと失敗

転職前

BEFORE
職業
飲食店
職種
居酒屋店長(チェーン店)
従業員規模
約5,000名
年収
400万円

転職後

AFTER
職業
食品工場
職種
ライン作業(ライン責任者)
従業員規模
約50名
年収
450万円

目次

やまたさんの転職ストーリー

1これまでの私

居酒屋という仕事と、そこで働く店長との出会い

居酒屋のイメージ

転職前の21歳から24歳までの間、居酒屋でアルバイトとして働いていました。

駅前の、けっこう繁盛していたお店でした。
毎月の売上を見て「今月は良かったね」と店長やスタッフと喜んだり、新しいスタッフが入ってきたら育成を任されたりと、やりがいを感じられていました。

1年ほど経って、当時その店の店長だった女性とお付き合いすることになりました。

彼女との同棲生活が始まり、仕事もプライベートも2人で協力しながら生活する日が、それからまた1年間続きました。

その後、彼女は別の店舗に異動することになって、そのタイミングで私はエリアマネージャーからの推薦を受けて、その店舗の店長として正式に社員となることになりました。

2転職のきっかけ

「今の仕事のままでよいだろうか」という想い

飲食店エリアマネージャーと売上を確認しているシーン

店長になって、変わったこと。
──それは、エリアマネージャーから売上向上の要請が毎日のように来るようになったことです。

加えて、勤務時間はアルバイトの時よりも格段に長くなり、疲労はどんどん溜まっていきました。

店長になった時に思ったことは、「もっとちゃんとした料理を作り、ちゃんとした接客をしよう」ということでした。ですが、それは果たせませんでした。

それよりも、売上を上げるための入店数と回転率を高めるために考えなくてはいけないことがたくさんあったからです。スタッフの管理・指導もありましたし、とにかく常にキャパオーバーの状態でした。

そんなとき、彼女が妊娠しました。

当時、私は23歳。
これから家庭をもって子どもを育てていくために、「今の仕事のままでよいだろうか」と考えることが多くなり、新しい仕事を探すようになりました。

3転職活動中

私にできる仕事とは、いったい何があるのか。

転職活動を始めた20代男性イメージ

彼女と籍を入れ、私の転職活動はいよいよ本格化しました。

心がけたことは、「家族を養っていくために一定の収入を得られること」と、「長く働き続けられること」。
家族との時間や子育ての時間を持てるように、長時間労働や休日出勤のない職場を探そうと考えました。

ですが、希望に合う職場はなかなか見つかりませんでした。

ハローワークや転職サイトで求人を探しても、なかなか自分にできそうだなと思う仕事が見つからなかったのです。

「これは出来そうだ」と思っても、希望する年収より遥かに低い条件のものばかりでした。

そもそも私は、飲食業界しか業務経験がありません。
パソコンは苦手でしたし、方向音痴のためドライバーも無理でしたし、「一体なんならできるのだろう?」という思いでした。

あるとき、悩んでいる私を見て妻がこう声をかけてくれました。

「最初から年収が高くなくても、昇給を目指して頑張ればいいんじゃない?現に、今だってアルバイトから店長に抜擢されたんだから」

加えて、あなたにはコミュニケーション力があって、人一倍頑張れる真面目さがあるからと励ましてくれました。

励ましの言葉は嬉しかったですし、たしかに、妻の言う通り私は自分のこれまでの経歴から不相応な求人ばかりを見ていました。

まずは、自分のできると思える仕事に就くこと。そして、はじめからすべてを望むのではなく、職場に入ってから頑張って給料を上げていけばいい。

──そう思い改めて改めて求人を見ていくと、いくつか「ここならやっていけそう」と思える仕事を見つけることができました。

その後何社かに応募をしたところ、まだ創業新しい食品工場の会社から「うちで働いてほしい」という旨の連絡をもらえました。

4転職後

新しい職場で、待ち受けていた環境は。

食品工場のベルトコンベアのイメージ

新しい職場での私の役割は、ライン作業でした。
ベルトコンベアに流れる製品を加工・梱包などしていく仕事です。

試用期間は3ヵ月間。その間はアルバイト同様の仕事でした。

また、工場施設は立ち上げ間もなく、どの人も作業に不慣れな状態でした。
誰かに教わるよりも、設備と機械の流れを見て感覚的に学んでいくことが求められ、加えての力仕事もあって最初の数日間はとても疲れました。

ですが、どんな仕事もそうなのでしょうが、コツがわかってくるとやりやすくなるものです。
一見無茶な仕事量を割り振られたときも、「どうすればこれを時間内にこなせるか」を本気で考えるとなんとかやれそうな方法が考えられたりと、少しずつ明るい兆しが見え始めました。

よかったことは、一緒に働く人で気立ての良い人が多かったこと。

ただ、当時のライン責任者のことはすごく苦手でした。
何か失敗すると頭ごなしに怒鳴ってくるその態度に、何度も辞めてやろうかという気持ちになりました。

ですが、ここで諦めてしまえば振り出しに戻ってしまいます。
それだけは絶対に避けたいと思いました。

3ヵ月が経って試用期間を終えたとき、私は新しいライン責任者に任命されました。

5その後、どうなったか。

転職を振り返って、今思うこと。そして、これから目指していきたいこと。

これからのキャリアプランを考える30代男性のイメージ

食品工場に転職してから、早6年が過ぎました。

当時のことを振り返って思うことは、「一生懸命頑張っていれば、それは誰かが見ていてくれている」ということです。

飲食店からの転職の際に「自分には何もない」と思っていましたが、何があるかというのは自分ではなく周りが見つけてくれるもので、そしてそれは自分の頑張り次第なのだと思います。

年収も少しずつアップしており、子どもの将来を考えると「もっともっと稼がなくては」と思うこともありますが、少なくとも以前より安定した生活ができるようになっています。

一点心残りなのは、今の仕事にそれほどのやりがいを感じられていないことです。

今回の転職では、私はやりがいよりも収入と安定性を求めて職場を決めました。
ふとしたときに、以前の居酒屋店で働いていた時の情熱を懐かしく感じることがあります。


ここ数年の取り組みとして、私はWebライターとしての副業を行っています。

クラウドソーシングサービスに登録して、クライアントからライティングの仕事を請けることもありますが、最近ではブログも始めて広告収益を上げていくことを目指しています(私が運用しているブログ:「やまた転職」)。

Webライター、とくにブログの仕事は作ったものを形にしていける喜びがあり、やりがいのひとつになっています。また、これから収入を安定させていくことにも寄与できるでしょう。


これから日本の未来は、あまり明るくないだろうと思っています。

現に物価の高騰は依然続いており、それに比例して給料が上がるのは大企業くらいです。
多くの人にとって、これからの生活はどんどん苦しくなっていくだろうと思います。

そのために個々の人が取れる対策のひとつに、副業があると思っています。
本業の収入のほかに副業として10万円でも得られれば、日々の生活だけでなくライフプラン自体も少なからず改善していけるはずです。

そして、どんな仕事や環境にせよ、なにかしらの「やりがい」を持つこと。
やりがいを持つことによって、人は継続的に頑張れるようになり、そしてそれはいずれ収入・年収にも反映されていくと思います。

私の今のやりがいは家族を養っていくこと自体を一番にしていますが、それだけではない新しいやりがいも、これからの人生で積極的に見つけていきたいと思っています。

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