転職体験談:アパレル系雑誌編集から、夫婦で農業に挑戦!
転職前
- 職業
- アパレル雑誌編集
- 職種
- 編集者
- 従業員規模
- 30名
- 年収
- 450万円
転職後
- 職業
- 農業
- 職種
- 自営業
- 従業員規模
- 2名
- 年収
- 200万~500万
目次
ユウカさんの転職ストーリー
1これまでの私
出版社での編集業務を10年以上行ってきて。

転職前、私はアパレル雑誌の編集の仕事をしていました。
もともと若い時からファッションに興味があって、学生の頃はモデルやアパレル関係の仕事に就きたいと思っていました。
就職時もその分野でチャレンジしたのですが、なかなか良い縁がなく、その時に同時に応募したアパレル雑誌の出版社から内定をいただけたのです。
当初の夢とは異なる分野となりましたが、かといって妥協して…という訳でもなく、出版社の編集業務は私にとっては「次なる夢」でした。
やりがいのある仕事も多く、忙しくはありつつも、毎日モチベーション高く業務に携わっていました。
そうして編集として働き続け、──気付くと10年以上の歳月が流れていました。
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2転職のきっかけ
職場で若い世代との「ジェネレーションギャップ」を感じるようになって。

私が転職をしようと思ったきっかけは何かというと、「若い世代の感性が段々と理解できなくなってきたから」です。
もともと、私が担当していた雑誌は若い女性向けの雑誌でしたが、年齢の経過に伴い、「これが良いんじゃないかな」という感覚が、他の編集者や若い世代の読者と合わなくなってきたのです。
せっかく提案しても、「読者の感性と違う」と言われて(または思われて)しまう…とても大きなストレスでした。
私よりも一回り以上年下の後輩に企画を取られることも多かったです。次第に、私は厄介者扱いをされているとさえ感じるようになってしまいました。
上長や人事担当に「担当を変わってほしい」とお願いはしていました。ですが、「人がいない」という理由から結局その後しばらくの間、そのままの状態が続きました。
そんな折、私の夫が、
- 夫
-
「オレ、農業を、やりたいんだ。」
と言ってきたのです。
──聞けば、本気で脱サラして自営業で農業を営みたいと。
私は夫のそんな想いを聴いて、「今の会社を辞めて、夫の仕事を手伝う方が、自分にとっても良いかもしれない」と、一緒についていく決意をしました。
3転職中
農家としての、新たな人生のスタートを切って。

私たち夫婦は、静岡の農村地域に移住し、農業を始めました。
仕事は本当にゼロからのスタートでした。
驚いたのは、そんな私たちを見て、近隣の農家さん達が助けの手を差し伸べてくれたのです。
──それも、何回も何回も、こちらからお願いするまでもなく、全くの赤の他人の私たちに、親身になって様々なことを教え、手助けしてくれました。
私たちが何とかスタートを切れたのは、そんなご近所の方々の暖かいご支援があったからでした。
4転職後
最初は、都市部とは違うコミュニケーションに戸惑って。

苦労も多かったですが、楽しさもありました。
初めは思い通りに行かないこと、失敗することはとても多かったです。
まさに、「毎日が勉強」でした。
──また、農村ならではの「近所づきあいの大変さ」も感じました。
親身になって農作業を教えてくれるのはとても助かりましたが、ほとんどプライベートがないほどいつも誰かがいる状態なのです。
もちろん仕事を教えてくれる時は助かるのですが、何もない時にでも、自然な風に皆が集まってくるのです。都市部でのコミュニケーションとは全く違うんだな…と思いつつも、やはり、結構気を遣いましたね。慣れるまでは大変でした。
なにせ、夫と2人でいられる時間は、ほとんど夜の時間だけしかありませんでしたから。(都会の暮らしに寂しさを感じる方は、逆におすすめかもしれません)
農業の仕事は、想像以上に大変でした。
乗り切ることができたのは、夫と2人力を合わせられて、そして、距離感に馴れるのに少し大変ではありましたが、近所の方々のご支援のおかげでもありました。
5その後、どうなったか。
いつか自分たちのオリジナル作物をリリースすることが、私たち夫婦の夢です。

農業に転職して気付けたこと、ですか?──そうですね、「やりたいことは自分自身で見つけて、そして行動に移さなければいけない」ということでしょうか。
会社勤めの時もやりたいことはありました。ですが、とくに無理にそれを実現しようとはせず、それでいてやりたいことができない状態にフラストレーションがたまっていくような仕事の仕方をしていました。
農業のお仕事では、「モチベーションが下がった」なんて言ってられません。とにかく、毎日必死に働かなければなりません。
そんな農業の営みをしていくうちに、かつて「やりたいことができないから会社を辞めたいと思っていた」自分が、恥ずかしくて情けない──と思うようになりました。
当時の私は、自己満足で仕事をしていて、仕事をする相手(お客様やクライアント、同僚たち)のことを殆ど考えていませんでした。考えると自然とテンションが低くなってしまうので、考えないようにしていたのです。
ですが、農業ではそんな姿勢は許されません。私は、農業に携わって、「仕事に対する厳しさ」を学べました。
◇ ◇ ◇
夫と2人暮らしの生活は毎日が試行錯誤の繰り返しで、大変ですが充実した毎日を過ごしています。仕事終わりに夫と一緒に晩酌をすることが、日々のストレス発散と生きがいになっています。
私はまだ農業に関わって間もないですが、いつかは誰もが認めるブランドの作物を作りたいと思っています。
誰が食べても美味しいと言ってくれる作物は、農家にとってこれ以上ない嬉しい言葉です。
しかし、美味しい作物をつくるには、それなりの手間と労力が掛かります。
そこまでのチャレンジはまだまだ難しいですが、いつか私たちも、オリジナルのブランド作物を作りたいと思っています。
2年が経ってようやく売れるような作物が作れた段階ですが、夢は大きく持ちながらも毎日必死で頑張っています。