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労働は尊いもの?それとも卑しいもの?これからの『働くこと』についての話をしよう

[最終更新日]2026/04/29

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労働は尊いもの?それとも卑しいもの?これからの『働くこと』についての話をしよう

あなたにとって「働く」とは、どんな意味を持つ行為でしょうか?

毎朝決まった時間に出社すること。生活のためにお金を稼ぐこと。社会と関わる手段。あるいは、自分の価値や存在意義を見出す場所——。

私たちは日々、多かれ少なかれ“働く”という営みと向き合い続けています。けれども、時代が変わり、働き方が多様化する中で、誰もが同じように「働くことの意味」を語れる時代ではなくなってきました。

もし、明日突然10億円が手に入ったら——あなたは今の仕事を続けますか?
もし、「働かなくても生きていける社会」になったら——あなたはそれでも働きたいと思うでしょうか?

この記事でわかること(早見表)

  • 古今東西で「労働」はどう捉えられてきたか?
    → 西洋では卑しいものから神聖なものへ、東洋・日本では勤労の美徳として発展するなど、時代・文化によって価値観が大きく変遷してきました。
  • 「働きたい」と「働かなくてはいけない」はどう違う?
    → 菊池寛の言う「何もしないことの苦痛」が示すように、人は本来活動欲求を持ちますが、収入だけを目的にすると内発的動機が薄れ義務感に変わっていきます。
  • セリグマンのPERMAモデルと仕事の幸福感の関係は?
    → ポジティブ感情・没頭・関係性・意味・達成の5要素が揃うことで繁栄(flourishing)が生まれ、給与や地位だけでは満たせない幸福感の構造が説明できます。
  • 「収入のために働く」ことの限界点はどこにある?
    → 収入が安定してくると「なぜ働くのか」という問いが浮上しやすく、意味・没頭・貢献といった内発的動機を別途育てないとバーンアウトに陥るリスクがあります。
  • 自分にとって意味のある仕事を見つける方法は?
    → 過去の仕事体験を棚卸しして没頭・貢献・成長を感じた瞬間を書き出し、共通点を「意味の源泉」として特定するアプローチが最も実践的です。

目次

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1)世の中の人々は、これまで「働くこと」をどう捉えていた?

働くこと——すなわち「労働」には、はるか昔から人類が営んできた長い歴史があります。人が働くことに対する考え方は、時代が変わるとともに遷移し、地域によっても異なる歴史を辿ってきました。

働くとはどういうことであるか。このことを考える上で、まずは働くことの概念や価値観が歴史の中でどのように移り代わってきたのか、大きな流れを見ておく必要がありそうです。

西洋・東洋(とくに日本)に分けたとき、働くことの意味合いがどのような歴史を歩んできたのか、ダイジェストで見ていくことにしましょう。

働くことの概念・価値観の遷移【西洋編】

B.C.500~1400年頃 古代ギリシャから中世まで:「労働はつつましいもの」に 1600年頃~ 宗教改革・市民革命時代:労働には「倫理的な義務」がある 1800年頃~ 産業革命から近現代へ:労働は「いかに利益を得るか」

《紀元前500年頃~1400年頃 古代ギリシャから中世まで》──「労働は卑しいもの」から「労働はつつましいもの」に

古代ギリシャにおいて労働は卑しいものと見なされ、奴隷が担うべきものと考えられていました。

中世に入ると、キリスト教が市民の暮らしに影響力を持つようになります。

当時のキリスト教が教義としていた禁欲主義は、自分たちが必要とする食物を得るために働くつつましい暮らし方と親和性が高く、労働と倫理が結びついていく1つの契機となりました。

《1600年頃~ 宗教改革・市民革命時代》──労働には「倫理的な義務」がある

宗教改革による価値観の大変動は、労働観にも影響を及ぼしました。貧困は怠惰の結果であると考えられるようになり、批判の対象となっていきます。

市民革命以降、支配階級が国王から資本家へと移り代わっていきます。資本家にとって、できるだけ多くの労働力を提供してもらうこと、つまり労働に対して人々に倫理的な義務感を持ってもらうことは、成功するために必要な条件となったのです。

《1800年頃~ 産業革命から近現代へ》──労働は、「いかに利益を得るか」

産業革命によって、人々の労働の場は農地や牧場から工場や事務所へと移ります。機械化が進むにつれて労働者の手足の機能が加速度的に拡張され、いかに効率よく生産し、利益を得るかが経済的な課題として議論されるようになっていきます。

——西洋における「働くこと」の移り代わりにおいて注目すべきことの1つに、「そもそも労働が尊いものとは考えられていなかった」点が挙げられます。

本来、奴隷がこなすべき卑しい行為に過ぎなかった労働は、時代とともに宗教や経済の思惑に揉まれる中で徐々にその姿を変え、現在のような「人が生きていくために働くもの」という考え方へと漂着したのです。

働くことの概念・価値観の遷移【東洋・日本編】

700年頃~ 仏教の影響:労働は「奉仕」である 1600年頃~ 儒教の影響:規律を重んじ勤勉に働くこと 1950年頃~ 敗戦から高度経済成長期へ:「勤労」は国・社会のために働くこと

《700年頃~ 仏教の影響》──労働は「奉仕」である

奈良時代以降、仏教は政治との結びつきを強め、庶民の生活にも深く入り込んでいきました。当時の僧は布教活動だけでなく、地域社会に貢献する活動——たとえば橋や堤防の建設などのインフラ整備にも携わり、人々の生活に資する施しを行います。これにより、労働とは奉仕であり、尊いものであるという考え方が浸透していきました

《1600年頃~ 儒教の影響》──規律を重んじ勤勉に働くこと

序列や規律を重んじる儒教の思想は、日本人の精神に大きな影響を与えてきました。江戸時代の身分制度である士農工商はよく知られていますが、商人の身分が低く位置づけられていたのは「商いによって利益を得るのは恥ずべき卑しいことである」といった考え方が根強くあったことの表れと考えられます。

金銭を得ることを労働の第一義とするよりも、規律を重んじ勤勉に働くことに価値が置かれがちなのは、儒教の影響も大きかったと言えるかもしれません。

《1950年頃~ 敗戦から高度経済成長期へ》──「勤労」国・社会の為に働く

太平洋戦争に敗れた日本は、焼け野原から再興し、世界にも類を見ないと言われる復興と発展を成し遂げました。高度経済成長期においては、日本社会全体が豊かになることと個人が豊かになることが同一視され、社会のために働くという「勤労」の考え方が一般化していきました。

現在でさえ、日本人の労働観にこの頃の影響が残っていないとは言い切れないところがあります。

——西洋と比べると、日本における労働観の変遷が独特な道程を経てきたことが分かります。

対照的に、日本においては古来より労働は尊い行為とみなされており、そのイメージを引きずりつつ、高度経済成長においても世の中のために働くという「勤労」の考え方が根強く残っていたのです。
個人がお金を得て豊かになるためだけに働くのではない、という考え方は、良くも悪くも日本社会の根底に流れ続けてきたと考えられます。

これからの、「働くこと」への捉え方について

現在は当たり前とされる働き方や労働観も、これから上書きされていく可能性がある。

西洋と日本の労働観がどのように移り代わってきたのか、駆け足で見てきました。

ひとつたしかな事実として、「働くこと」の意味合いや捉え方は、時代によって、あるいは地域によって、さまざまな形になり得るということです。そのように考えたとき、いま現在は当たり前と思われている働き方や労働観も、これから時代が進むにつれて上書きされていく可能性は十分にあります

今後、AIの台頭によって消滅する仕事が出てくると言われています。
仕事を失う恐怖感という文脈で語られることの多い話題ですが、見方を変えれば単純労働から解放され、働く時間が短くなる人が増えるとも言えます。

私たちの暮らしは、これからますます余暇時間が増加し、働くことだけに注力する必要のない時代へと移り代わっていくのかもしれません。

そのような時代に突入していくとき、私たちは「働くこと」をどのように捉え直し、意義を見出していくべきなのか——。

これまでも時代とともに労働観は変遷してきましたが、それ以上の変化が訪れる時代へと、私たちは向かっているのかもしれません。

そこで、改めて問い直してみましょう。
「働きたいですか?」「働かなくてはいけないのですか?」「働くことで幸せを感じられますか?」
こうした問いへの答えについて、次項で一緒に考えてみましょう。

2)「働きたい」?それとも、「働かなくてはいけない」?

「なぜ働くのですか?」と問われたら、多くの人は「そういうものだから」「生きていくために働かなくてはいけないから」と答えるでしょう。

このように、私たちの奥深くには労働を「義務」と捉える意識が横たわっています。たしかに、義務感に従うままに労働へと向かうのも1つの考え方と言えるでしょう。

一方で、能動的に「働きたいから働いているのに過ぎない」という考え方もあるでしょう。

果たして、仕事は「働きたい」という気持ちから取り組まれるべきものなのでしょうか。あるいは「働かなくてはいけない」という義務感に背中を押される部分があるのは致し方ないことなのでしょうか。

「何もしないでいることの苦痛」を描いた菊池寛

今日と同じ日が何時までも続くかと思うと、立って居ても堪らないような退屈が、ヒシヒシと感ぜられるのであった。菊池寛『極楽』

近代日本文学作家の1人である菊池寛は、「極楽」という小説を書いています。

「何時まで坐って居るのじゃろう。何時まで、こうして坐って居るのじゃろう。」
「くどい!何時までも、何時までもじゃ。」

無事な平穏な日が、五年経ち、十年経ち、二十年経ち、三十年経った。

極楽へ来て見ると、如何にも苦も悲しみもない、老病生死の厄もない。平穏な無事な生活が、永遠に続いて行くのである。

今日と同じ日が何時までも続くかと思うと、立って居ても堪らないような退屈が、ヒシヒシと感ぜられるのであった。

(菊池寛「極楽」より抜粋)

極楽がいかに素晴らしく、何の不安も感じない場所だとしても、「何もしないでいる」ことは人間にとってあまりにも退屈であり、苦痛以外の何物でもないというのです。

実際、企業が人員整理のために自主退職を促す場合、1日中何もすることのない閑職へと追いやる方法が取られることがあると言います。

「何もしなくていいのなら楽ができるのでは?」と思うかもしれませんが、何もせずに1週間、1ヵ月、半年と過ごしていくのは、思いのほか苦痛を感じることなのです。

「できることなら誰かの役に立ちたい」という思いは誰にでもあるはずですから、仕事を通じて周囲の人々や世の中の役に立ちたいという気持ちが、働くことの目的の1つになり得るはずなのです。

収入のために「働かなくてはならない」という感覚が行き着く限界点

ところで、ここで違和感を覚えた人もいるのではないでしょうか。

「そうは言っても、生活費を稼がなくては暮らしていけない。お金のために働く面があることは無視できないだろう」と——。

たしかに、必要最低限の収入を得るために労働力を提供している、という面はあるでしょう。では、働くことの目的は「お金をもらう」ことだけに絞ってしまえるものなのでしょうか。

世帯年収と幸福感(幸福感=「とても幸せ」を10とする)のグラフ

参照:FNNプライムオンライン「池上彰さんが解説『なぜ大人になったら働かなきゃいけないの?』」

上の図は、幸福感と所得との関連を示したグラフです。所得が高ければ高いほど幸せだろう、と思われがちですが、実際には年収400万円の場合と1,000万円未満までを比べてみると、幸福感にほとんど差がないことが分かります

さらに、年収1,000万円を超えたあたりから、なんと年収が増えるにつれて幸福感が微減しているのです。

年収が高くても自由な時間がほとんど取れない、家族と過ごす時間がほぼ全くない、といった状態では、幸せだと感じるのは難しいのかもしれません。

このような観点から考えると、収入を得るために働くという面はたしかにあるとしても、そのことが幸福感へと直結するとは限らないことが分かります。

収入を得るのは幸せな暮らしを送るためだったはずが、あるところから収入を得ることで幸せでなくなってしまう——。ここに、「収入を得るために働く」と完全に割り切れない限界点が垣間見えるのです。

「働きたい」という欲求を支える3つの可能性

恐怖に対する自己防衛(働かないと世間体が悪い) 余暇の充足(することなくて暇だから働こう) 幸福の追求(働くことが幸せに繋がっている)

では、人はお金のためだけに働くのではないと仮定した場合、自ら「働きたい」という思いが芽生え、労働へと向かうには、どのような条件が必要と考えられるでしょうか。

ポジティブな理由・ネガティブな理由のどちらも可能性として挙げるとすれば、次のことが考えられます。

1つの可能性に「恐怖に対する自己防衛」が挙げられるでしょう。

前掲した過去の西洋社会においては怠惰と思われないため、儒教においては暗黙の規律に反しないために、人々は労働という「型」に自身を当てはめてきました。「大学を卒業したら就職しないと世間体が悪い」といった感覚は、これに類するものと言えるかもしれません。

もう1つの可能性として「余暇の充足」も見過ごせません。
端的に言えば「暇で仕方がないから働く」ことです。前出の「極楽」で描かれた世界のように、やることがなく手持ち無沙汰の状態が続くのは人間にとって元来好ましくない状態なのかもしれません。

学生が「夏休み中は時間がたっぷりあるから何かアルバイトをしよう」と考えるのは、これに近いと言えるでしょう。

そして、上記の2つとは全く別の可能性として「幸福の追求」が考えられます。働くことを通じて社会の一員として認知され、他者との関わりを持てたり、場合によっては感謝してもらえたりすることが、その人にとっての幸福感へとつながっているという考え方です。

働くことで「幸福感」を得られるかどうかが重要

働くことに対して、どんな理由から「幸せ」と感じるかは人それぞれ。

これらの3つの可能性のうち、「恐怖への自己防衛」「余暇の充足」はある程度大勢の人に共通する概念と言えるでしょう。「働かないと周囲からどう言われるか分からない」「毎日ぶらぶらしていても仕方ないから働く」といった感覚は、ごくありふれた一般的なものと考えられるからです。

ところが、「幸福」に関しては一筋縄にはいきません。働くことに対して、どのような理由から「幸せ」と感じるか——。

人それぞれ感じ方は違うことを前提とした上で、働くことに対して「幸せ」を感じることは誰にでもできるのでしょうか。最後に、この点について考えてみたいと思います。

3)働くことに対して、人は誰でも「幸せ」を感じられるのか?

近年、働き方改革の流れを受けて、残業時間や有給休暇取得にガイドラインが設けられることになりました。
働き方そのものを見直したり、働くことで何を得ようとしているのかを振り返ったりする1つのきっかけとして、影響を与える動きとなることは必至でしょう。

働き方改革に対して肯定的な意見が聞かれる一方で、労働時間を短くすることや休暇を増やすこと自体が本質ではない、と指摘する声もあります。

おそらく多くの人が、仕事に対して「仕事と収入」「仕事と余暇」「仕事とやりがい」といった一対一の紐付けをしていないため、「仕事の時間が短くなれば幸福感が増す」といった法則は成り立たないのだと思われます。

働くことで得られる幸福を考えるにあたって、そもそも「人にとって幸せとは何か」から問い直してみる必要があるのかもしれません。

マーティン・セリグマンが唱えた人間の5つの「幸せ」

アメリカの心理学者マーティン・セリグマンは、「人の幸せは5種類に分類できる」と述べています。その5種類の要素を示したのが下の図です。

●ポジティブ感情…「嬉しい・面白い・感動した・希望を持てる」などのポジティブ感情 ●没頭…物事への積極的な関わり。時間を忘れてなにかに熱中して取り組むこと ●他者との良い関係性…人との関わり合い、信頼関係や相互支援など ●意味や意義の自覚…自分は何のために生きているのか、自分ともっと大きなものとの関係を意識する ●達成・成功…何かを達成する
  • ポジティブ感情…「嬉しい・面白い・感動した・希望を持てる」などのポジティブ感情
  • 没頭…物事への積極的な関わり。時間を忘れてなにかに熱中して取り組むこと
  • 他者との良い関係性…人との関わり合い、信頼関係や相互支援など
  • 意味や意義の自覚…自分は何のために生きているのか、自分ともっと大きなものとの関係を意識する
  • 達成・成功…何かを達成する

これらの要素は、どれが優れている・劣っているという性質のものではありません。人によっては「達成」や「没頭」に幸せを感じることもあれば、「意味や意義の自覚」を噛みしめることに幸せを見出だす人もいるはずです。

これまでは、殊に「仕事」となると「達成」に見出される幸福感に偏る傾向がありました。
「意味や意義の自覚」や「人間関係」は副次的なものと見なされたり、場合によっては悩んでも仕方がないこととして切り捨てられたりすることさえあったのです。

こうした価値観は、現代の多様な働き方や価値観の中では時代遅れになりつつあるかもしれません。

若い世代ほど、仕事に取り組むことの意味合いや、そこで得られる人とのつながりを重く見ている面があります。セリグマンが提唱した「幸せ」の要素に照らし合わせたとき、仕事観が多様化することで、むしろ人間が求める「幸せ」本来の形になりつつあると言えるのかもしれません。

幸せを求める姿勢において、仕事と暮らしを分けないという発想

仕事とプライベート、相互に良い影響を与え合い、自身を高めていくことにつながるとしたら…?

昨今はワークライフバランスを重視する人も多くなっています。
仕事のために生活を犠牲にしないというのは重要な視点ではありますが、では生活のために仕事は我慢してこなせばいいのか?と問われると、それも幸せを求めるという点において違和感を覚える人がいることでしょう。

働いているときの自分も、プライベートの自分も、同じ一人の人間です。仕事と暮らしを分断させて捉えるのではなく、相互に良い影響を与え合い、自身を高めていくことにつながるとしたら、仕事を通じて幸せを追求することへとつながる可能性があります。

《仕事と暮らしが相互に影響し合って得られる「幸せ」の例》

  • 部下や同僚との関係から得た学びが、プライベートでの人間関係にも良い影響を与える
  • 子育てを経験し親として成長したことで、キャリアプランの捉え方がより柔軟になる
  • 個人的に関心を持ち夢中になって読んだ本が、思わぬところで仕事のアイデアに結びつく
  • 家事の段取りにこだわって考え抜いたことで、仕事でも段取りのスキルが向上する
  • 誰かの役に立ちたいと日頃から思っていた結果、新規事業や新ビジネスの発想が生まれる

こうしたことは、「いつか仕事にも役立てよう」とか「プライベートでも使えそうなスキルだ」と意識して応用するものではないはずです。

「より良くしよう」「より充実させよう」といった思いが行動となって表れ、結果的に仕事が暮らしに、暮らしが仕事に良い影響を与え、幸せを実感することにつながっていると考えるのが自然でしょう。

このように、幸福を求める姿勢という点においては、仕事と暮らしを分け隔てなく捉えるという発想も必要になるのかもしれません。

【まとめ】自分にとっての働く意味や目的を摸索していこう

自分から意味や目的を見出す労働のほうが有意義に感じられるケースが圧倒的に多い

「なぜ働くのか」「働くことを通じてどのように幸せをつかむのか」という問いには、決まった答えはありません。これは、誰かに答えを教えてもらえるような種類の問いではありません。

1つはっきりしているのは、「働かなくてはいけない」といった義務感による労働よりも、自分から意味や目的を見出す労働のほうが有意義に感じられるケースが圧倒的に多いということです。

そして、労働の途上には苦しみや忍耐だけがあると考えるよりも、仕事を通じて幸せを実感できるほうが人生全体の幸福度は高まることでしょう。

働くことの意味や目的が細分化されていく時代だからこそ、自分にとって働く意義の支えとなる価値観を摸索していくことが、これまで以上に重要な意味を持つようになっているのです。

FAQ|「働くこと」の意味・幸福についてよくある質問

FAQ

Q1)「働くこと」が尊い・卑しいと感じる差はどこから来るのか?

「労働の尊卑」の感じ方は、文化的背景・宗教観・社会的文脈によって大きく異なります。西洋では古代ギリシャ以来、肉体労働は奴隷のするものとして「卑しい」と捉えられ、思索や学問こそ自由人にふさわしい営みとされていた時代がありました。その後、プロテスタント倫理(マックス・ウェーバー)が「勤勉な労働は神への奉仕」と位置づけ、労働に尊厳と道徳的価値を与えました。日本でも「勤労は美徳」という価値観が戦後の高度成長期に強化され、働くことそのものが自己証明の手段として機能してきました。

現代においてこの感覚のズレが生じるのは、「誰のために・何のために働くか」という目的意識の違いにほぼ起因します。他者から強制されて働くと「卑しい(惨めな)」と感じやすく、自分の意志・価値観に基づいて働くと「尊い(誇らしい)」と感じやすいという構造があります。同じ業務でも、目的意識の持ち方次第で体験の質は根本的に変わります。

つまり「尊い・卑しい」は労働の種類そのものに宿るのではなく、その人が労働とどのような関係を結んでいるかに宿ります。これを理解するだけで、自分の「働くこと」への向き合い方を主体的に選択できるようになります。

Q2)「収入のために働く」ことを目的にすると何が失われるのか?

収入を主目的にした働き方は持続可能ですが、一定の限界点を超えると内発的な動機が失われていく危険性があります。心理学では「アンダーマイニング効果」として知られる現象で、外部報酬(賃金)が主目的になると、もともと持っていた仕事への好奇心や達成感といった内発的動機が薄れていくことが研究で示されています。

菊池寛は「何もしないことの苦痛」として、人が本来的に活動・創造への欲求を持っていることを指摘しています。収入だけを目的にすると、仕事は「苦痛を避けるための手段」になり、仕事に向き合うエネルギーそのものが消耗しやすく、いわゆる「燃え尽き(バーンアウト)」の状態に陥りやすくなります。特に収入が安定してくると「なぜ働いているのか」という問いが浮上し、目的喪失感として現れるケースが多く見られます。

失われるのは端的に言えば「働くことへの自分なりの意味」です。収入以外の軸——成長・貢献・つながり・表現——を意識的に育てることが、持続的に働き続けるための土台になります。

Q3)マーティン・セリグマンが言う「幸福」の5要素と仕事の関係は?

マーティン・セリグマンが提唱するWELL-BEING理論(PERMAモデル)は、仕事の満足度を考える上で非常に実践的な枠組みです。PERMAとは「Positive Emotion(ポジティブ感情)」「Engagement(没頭・フロー)」「Relationships(関係性)」「Meaning(意味・意義)」「Achievement(達成)」の5要素の頭文字を取ったもので、セリグマンはこの5つが揃って初めて人は「繁栄(flourishing)」できると論じています。

仕事との関係で言えば、「Engagement(没頭)」は「この仕事に夢中になれる瞬間があるか」、「Meaning(意味)」は「この仕事は誰かの役に立っているか・自分にとって意義があるか」に対応します。給与・地位・職場環境はこの5要素のいずれかを支えるものですが、5要素を直接補うものではないという点が重要です。待遇が良くても「没頭」も「意味」も感じられない仕事では、幸福感が生まれにくいことが説明できます。

日々の仕事を振り返る際に「今日はPERMAのどの要素が満たされたか」を問うだけで、自分に欠けているものが見えやすくなります。転職や働き方の見直しを考えるときにも、この5要素のバランスを判断基準に加えることをおすすめします。

Q4)「働きたい」という自然な欲求はどうすれば引き出せるのか?

「働きたい」という欲求は、適切な環境と意味づけが揃うことで自然に引き出されます。人は本来、創造・貢献・成長への欲求を持っています。しかし過度なノルマ・裁量のなさ・人間関係の摩擦・目的の見えない業務が重なると、欲求は抑圧されて「働かなければならない」という義務感に上書きされていきます。

心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンの「自己決定理論」では、内発的動機(働きたい欲求)を引き出すには「自律性(自分で決めている感覚)」「有能感(できているという感覚)」「関係性(つながっているという感覚)」の3つが必要とされています。現在の仕事でこの3つのどれが欠けているかを特定するだけで、問題の所在が明確になります。たとえば「自律性」が低いなら業務の進め方を提案する・裁量の大きい環境に移るという具体策につながります。

また小さな「夢中になれる瞬間」を意識的に記録し積み重ねることも有効です。何に没頭できたか・誰かの役に立てたと感じたか・どんな成長があったかを振り返ることで、自分が「働きたい」と感じる条件が見えてきます。それが転職や働き方の見直しの際の、確かな判断基準になります。

Q5)自分にとって「意味のある仕事」を見つけるための実践的なアプローチは?

「意味のある仕事」を見つけるには、抽象的な理想を語るより先に「過去の仕事体験の棚卸し」から始めることが最も確実です。具体的には、これまでの仕事経験の中で「時間を忘れて没頭した瞬間」「誰かに感謝されて嬉しかった場面」「自分から率先して取り組んだ業務」を書き出します。このリストに共通するキーワード(人を助ける・形にする・教える・分析するなど)が、あなたにとっての「意味の源泉」です。

次のステップとして、その源泉が現在の仕事でどの程度満たされているかを0〜10で評価してみてください。7以上なら現職での工夫や異動でカバーできる可能性がありますが、5以下が続いているなら環境そのものを変えることが根本的な解決につながる可能性があります。「仕事と暮らしを分けない」という発想、つまり仕事外での活動(副業・ボランティア・創作)も含めて意味を満たす源泉を構築するという選択肢も有効です。

セリグマンのPERMAモデルを参照すると、「意味のある仕事」とは「Meaning(意義)」と「Engagement(没頭)」の両方が感じられる仕事です。どちらか一方だけでは長続きしにくく、両方を満たせる環境を探し・作っていくことが、自分にとっての「働くことへの答え」を育てていく過程になります。

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