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人気の転職「体験談」特集。多くの人に読まれたエピソードTOP10

[最終更新日]2024/02/21

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人気の転職体験談TOP10

「みんなの転職『体験談』。」には、これまで数多くの方々から転職にまつわる体験談が寄せられてきました。

なかでも読者の皆さまの反響がとくに大きかった10の体験談を、ピックアップして紹介します。

目次

10位:職を転々としていた私が介護業界に入って気付けたこと。

「介護とは…?相手に何をしてやれることがあるのか」それを教えてくれたのは、私が担当することになった利用者の方でした。

40代で結婚しました。その際に、妻から

介護の仕事とか、あなたに向いているんじゃないの?

──と、勧められました。 「困っている人を助けること、役立てられるのが、好きな人」──妻は、私のことをそう見てくれていたようです。

(なるほど、確かに、介護の仕事は自分に向いているかもしれないな。)私は、そう思いました。

──ですが、(ダメならすぐに辞めればいいや)と、正直、そんな想いもありました。

(中略)

介護は一体、相手に何をしてやれることがあるのか

最近、私はそんなことをよく考えます。

例えば、医師や看護師といった医療技術者は、医療行為を行えますよね。それから、苦しみ、痛みなどを取り除くことができます。

では、介護士は何ができるのか?

私なりに行きついた結論は、「コミュニケーション」でした。

そして、それを教えてくれたのは、新しい職場で私が担当することになった利用者の方でした。

その方は、言語障害を持つ方です。普通に会話することはほぼできませんでした。

それで、その人が何を求めているのかをずっと、何日もの間、観察していたんですね。
そうしたら、感じてきたんです。その方が、今何を考えているかとか、何を求めているかが。

それは、言葉は交わしていないけれど、まぎれもないコミュニケーションでした。私は、その方を観察し、その方は私の存在を認め意識を向けてくれて、そうして私たちは接しあい、そうして、コミュニケーションを取ることができたのです。

元の体験談記事はこちら▽

助けていたつもりが、実は助けられている不思議さ

新たな職場で出社初日から先輩社員とケンカになってしまうこともあったというザワさん。

ケンカとまではいかなくても、同僚や上司とうまくやっていくのが難しいと感じている方は多いのではないでしょうか。

仕事や転職がうまくいかない時、それらの原因を自身の「性格」と完全に結び付けてしまうと、逃げ場がなくなり辛くなることもあるはずです。

ザワさんは介護士ができることは何かを考え抜いた結果、「コミュニケーション」という結論に至ります。

見舞いに来られるご家族の方々のカウンセリングやアドバイスをするようになり、「お金の為に仕事をしているんじゃない」と思えるようになったとのこと。

仕事を通じて誰かを助けていたつもりが、実は助けられていたのは自分のほうだった、と気づく瞬間が訪れることがあります。

生活のために収入を得ること、誰かのために役立つことが働く理由として重要であるのは間違いありません。

働くことを通じて自分自身に返ってくるものもあることが、鮮烈なメッセージとして伝わるエピソードです。

9位:ややブラックな企画会社からIT系会社に転職した、私の本当の理由は。

自分自身が周囲に与える影響に、無頓着でいすぎたのでしょう。私自身も、周囲を暗くする一因になっていたのです。

「私、もう限界かも…」

あるとき、私の後輩の女の子が休憩スペースでそう言ってきました。

「え、何が?」

だって、ずっとこんな忙しい日が続いてて、職場の雰囲気も暗いですし。なんか先が見えなくないですか?

先?先って何だろう?──私は考えました。考えていて、私は自分のこの「先」、つまり将来について全く考えていないことに気づいたのです。

なんとなく、このままやっていればうまく行くだろう、そのうち楽になるだろう──そんな思いで、日々の忙しさにかまけていたことに気づきました。

そして、その女の子は1ヶ月後に退社しました。

もともと、離職率の高い会社ではあったんですが、その子とは結構仲良くさせてもらっていて、とても寂しかったですね。

(中略)

1年後、たまたま前職で私の少し前に退職した女の子と会いました。facebookでつながって、どちらともなく「飲みに行こうか」って話になって。

久しぶりに会ったその子と色々話しました。その大半が、「あのとき、ひどかったよねー」というような、前職の軽い愚痴話。楽しかったですね。時間はあっという間に過ぎていきました。

そろそろお開きかな、というときにその子が私にこう言ってきました。

〇〇さん、表情明るくなったね。前はさ、お通夜みたいだったから

「え?」と思いました。彼女はそのことに関してはそれ以上何も言わず、駅で別れました。

──そして、なんとなく分かったんですよね。
彼女が辞めた原因のなかに、私のこともあったんだろうなって。

元の体験談記事はこちら▽

職場は自分自身を映す「鏡」かもしれない

長時間労働が慢性化している、離職率が高いといった特徴のある職場は、しばしば「ブラック企業」などと称されます。

今現在、まさにそのような職場で働いている方の中には、「職場と自分自身」という対立構造で物事を捉えがちになっていないでしょうか。

従業員1人の力で職場を変えられるかと問われれば、たしかにできることは限られているかもしれません。

しかし、自分自身が暗い顔をしていることで、いつの間にか暗く思い苦しい雰囲気が周囲に伝播してしまう場合もあるのです。

「寂しい気持ちにならない職場」への転職を目指すというのは、やや風変わりな転職理由と感じた方もいるでしょう。

しかし、「表情が明るくなった」という元同僚の言葉からも、今回の転職が決して失敗ではなかったことが伝わってきます。

また、転職を通じて「自分がどれだけポジティブでいられるか」という新たなテーマを見出せたことも、転職で得られたひとつのギフトかもしれません。

8位:理容師から新聞記者へ転職して、365日24時間、働いて、働いて、働いて。

「この仕事は天職であり、私は書くのをやめたくない。」記者として働いたあの職場は、「癌にならなかったら、土下座しても戻りたい場所」でした。

気がつけば、365日24時間、働いていました。

朝の5時に家を出て(職場まで自転車で5分)、一日取材して、会社には夕方の6時に到着して、原稿書いて、夜中の2時とかに帰る生活していました。

(中略)

平成8年の暮れ(父の一周忌ごろ)には、スーパー行っても母に牛乳を取ってもらうくらい疲弊していました。
朝に、お腹があまりに痛くなって気絶することもありました。その時期から会社に遅刻することも多くなってきて。

丁度その頃は年末年始の休み時期で、なんとか身体に無理を聞かせて元旦も取材の仕事をしていましたのですが、さすがに「これからどうしていくのが良いだろう?」と考えるようになりました。

──この仕事は天職であり、私は書くのを、誰かに会いに行く(取材)のを辞めたくない。

有休や代休は2ヶ月分くらいありました。

──よし、1月からお休みをまとめてもらって、身体を治そう。そしてまた書こう。

そう思って会社に伝えると、「(一回退職して)ゆっくり休んだ方が良いんじゃないか」という反応。結局、5月まで働いて、退職することになりました。

失業保険の申請に行ったハローワークでは、「33才の女には仕事はないよ!」と言われたことが今でも忘れられません。「床屋から記者になるなんてあり得ない」とまで言われました。

じゃあ、「職員さんは私はどこに就職出来ると思いますか」と聞いたら、「U字構埋められますか?あなたができると思えばできるよ」とか言われて。 ──でも、当時はまだ身体の疲労がまったく回復しておらず、体力仕事はとても無理だろうと。

6月、左乳がんの告知をされました。

入院する私を、U字構を勧めていたハローワークの女性職員の方が、泣きながら見送ってくださいました。

それからまた、右乳がんをして、40歳のときに卵管がんもして。

──長い闘病生活の後、ようやくフリーで仕事ができる状態まで回復しました。

元の体験談記事はこちら▽

「この仕事が好き」という思いが、逆境を越える原動力に

理容師から新聞記者への転身という異色の経歴をお持ちのHさん。

記者の仕事は自分にとって天職と感じ、仕事に没頭する日々を送っていました。

そんな折、大病を患ったことで新聞社を退職せざるを得なくなったのです。

逆境に直面しながらも、書くことを諦めなかった大きな理由は、厳しくも期待を寄せて信頼してくれた先輩のNデスクの存在でした。

「今でもデスクに叱ってもらいたいし、誉めてもらいたい」という言葉には、並々ではない感謝と敬意が込められています。

退職するまでに培ってきた信頼関係によって、現在はフリー記者として少しずつ仕事に復帰することができているとのこと。

職場やプライベートの状況が一変したとしても、自身の中で育んだ経験やスキルまでもが消えてしまうわけではありません。

学生時代から文章を書いてきたHさんにとって、「書くこと」は今後もライフワークであり続けるはずです。

この仕事が好き」「今は難しくても、必ず続けたい」という思いが、逆境をも力強く越えていくエネルギーの源泉となっているのでしょう。

7位:「正社員になりたい。」その一心で非正規雇用から正社員へ転職したけれど。

毎日提示で帰るぶん、体は楽になりました。しかし、今まで大量の仕事を前にしていたときのような、満足感を得られません。

転職前は、派遣社員として働いていました。
近々、直接雇用(正社員)になるよ」って言われてて。

ですので、これまで以上に張り切って仕事をしてたんです。

──ですが、なんと会社の業績悪化により、派遣が打ち切りになってしまったのです。

私は、転職することになりました。──というより、そうせざるを得ない状況でしたから。

(中略)

直前に働いていた派遣社員の仕事と比較すると、月給では4万円ほど上がる予定となりました。そして、賞与も出る予定でした。

「ようやく報われる…」本当に、そう思っていました。

ところが、結局賞与は1年ほど経っても支給がなかったのです。

理由は、「業績が不安定のため」でした。

また、とても仕事量が少ないことから残業もなく、その分、収入が派遣社員時代とでたいした違いがなくなってしまったのです。

これまでと違い、毎日定時で帰るぶん、体は楽になりました。
しかし、今まで大量の仕事を前にしていたときのような、満足感を得られません。

もともと、私が目指したのは、やりがいがある正社員の仕事だったはずです。しかし、現実に得た仕事はまったく異なるものだったのです。

元の体験談記事はこちら▽

「一発逆転」を叶える転職は現実的に難しい場合も

派遣社員から正社員に転職することで、安定と好待遇をどちらも実現したいと考えていたざくろさん。

正社員への転職は実現できたものの、いざ働き始めてみると想像していたほど好待遇ではなかったとのことです。

何より、仕事が楽になったために「やりがい」や「満足感」が得られなくなってしまったことは、ご自身にとって大きなマイナスポイントだったのではないでしょうか。

希望する条件を全て叶える転職を実現するのは、現実的に難しい場合もあります。

とくに「やりがい」と「待遇」のように、方向性の異なる希望を同時に叶えるのは決して容易ではありません。

一方で、正社員として就業した経験を糧に、さらに待遇の良い企業への転職を目指すことは十分に可能でしょう。

次の転職を急ぐのではなく、しっかりと見極めたいというコメントからも、今回の転職から多くの学びを得ている様子が窺えます。

ご自身では今回の転職が失敗だったと感じているとのことですが、今後のキャリアを切り拓いていくための重要なヒントを得られたのではないでしょうか。

転職先を選ぶ際には、現状最も優先したい条件をじっくりと深掘りし、絞り込んでおくことが大切です。

6位:派遣経理から正社員事務職に転職。待っていたのは「パワハラ職場」だった。

大企業だし、社内体制や福利厚生もしっかりしてるだろう。入社1日目でその期待は儚く打ち砕かれました。

メーカー会社の正社員事務職として、入社しました。

(これだけの大企業だし、社内体制や福利厚生もしっかりしてるのだろう)

そう期待していたのですが、入社1日目でその期待は儚く打ち砕かれました。

社員のデスクはプリント物が乱雑に積まれ、フロアは清潔とは程遠い状態で、いたるところにホコリが溜まっていました。

デスクの引き出しを開けたら、他人の資料がびっしりと入っていて、自分のものを入れる余裕もありませんでした。

1日に何度も、上司の怒鳴り声が聞こえてきました。

よくよく聞いてみると、精神的に追い詰められて休職と復帰を繰り返している方が何名もいるとのこと。

更には、育成する担当の人の教え方が、みんな揃って下手なんです。それでいて、こっちが間違えると本気で怒ってくるのです。

(中略)

「振り返って、今思うこと」…ですか?

そうですね、「人の優しさのありがたさ」を知れましたね。つらい時って、優しくされると本当に救われます。

あと、「世の中にこんな人間がいるんだ」と勉強になりました。これは、反面教師的な意味合いも込めて。

私の感覚ですが、上場企業のような大きな会社よりも小さい企業の方が、私の将来のことを考えて助言してくれる人が割合として多かったように思いました。

元の体験談記事はこちら▽

職場環境は「企業規模」よりも「人」に左右されやすい

転職後、入社初日から「パワハラ職場」の現実に直面したあいさん。

大手企業であれば、相応に社内体制もしっかりと整っていると期待するのは自然な心境かもしれません。

しかし、社風や配属部門、上司との相性など、実際の職場環境は「人」に左右される面も多々あります。

転職者を直接指導する社員との相性や、先輩社員自身のパーソナリティも深く関わってくるでしょう。

従業員数や売上規模、上場企業といった要素だけでなく、口コミサイトなどを参考に職場の実態をリサーチしておくことが大切です。

とはいえ、今回の転職の経験を通じて「人を支える仕事がしたい」という新たなテーマが見つかったとのこと。

ご自身でも「次のステップの繋ぎかもしれない」と言っているように、今回の経験を糧により働きやすい環境を目指して力強く邁進していくはずです。

「人」という判断軸は、転職において非常に重要なポイントの1つといえます。

現状、職場の人間関係や顧客との関係性など、人の問題に悩んでいる方にとって、多くの示唆をもたらしてくれるエピソードでしょう。

5位:「生と死に向き合う仕事」──看護師を退職・再就職して思うことは。

患者さんの不安は、私たち看護師と「ほんの数分」でも話すだけで、解消されていくことも多かったのです。「患者さんは、話したいんだ…!」

病棟勤務の、日勤・夜勤がランダムに訪れる勤怠のリズム。それに私は全く慣れることができず、疲れているのになかなか寝付けない日が続き、慢性的に寝不足でした。

食欲も元々細かったのが、更に食べれなくなって。
どんどん痩せていきました。

周りの職員の人たちは、いつしか私と会うと「大丈夫?」と挨拶代わりに聞いてくるようになってきました。

私自身も、患者さんに笑顔で接しようとするときに、「患者さんを安心させるため」という意識がいつのまにか無くなっていました。
そして笑顔の裏側で、暗い表情をした私がいました。

──まるで、自分が患者さんのようになってきてしまっていたのです。

「自分が頑張らなきゃいけないんだ」といつも思っていました。

でも、それすらも今思うとおかしな話です。頑張っているのは患者さんで、看護師はそれを助ける仕事なのに。

患者さんじゃなくて、「自分が頑張らなきゃ」という意識で頭の中は一杯。なんだかもう、本末転倒で──。

「もう辞めたほうが良いかもしれない」と思っていたときに、婦長さんから「ちょっと休んだ方が良いんじゃない?」と薦めてくれました。

婦長さんからは外来や日勤にする選択肢も提示してくれましたが、その時はもう、私の中で挫折感がどうしようもないくらいに強くなってしまっていました。
──そして私は、「辞めさせてください」と伝えました。

(中略)

以前いた大病院の職場は、患者さんの「生と死」に向き合っていくという過酷さと大変さがありました。

でも、今のクリニックの職場では患者さんへの応対や接遇──、この部分が、慣れるまではとても大変でした。

良かったことは、患者さんとゆっくり話せるようになったことです。

採血や処置をしているとき、患者さんは私たち看護師にいろんなことを話してくれて。

お仕事のことを話されるサラリーマンの方や、日常のことやたまに会いに来てくれる孫のことを嬉しそうに伝える高齢者の方──、そして、話した後には笑顔になって帰ってくれました。

そんな患者さん達と日々何度も接しているうちに、

患者さんは、話したいんだ…!

ということに気付きました。

クリニックに来られる患者さんは皆、体調や病気への不安を持たれていました。そしてその不安は、私たち看護師と「ほんの数分」でも話すだけで、解消されていくことも本当に多かったのです。

私はそのとき初めて、クリニックの総合病院とはまた違う「地域に密着した医療のありかた」を知り、そして身を持って体験できました。

それは、私にとっての「看護師としての新しいやりがい」と感じられるものでした。

元の体験談記事はこちら▽

転職を通じて「仕事の本当のやりがい」を発見

従業員800名を超える総合病院から、従業員8名ほどの病院に転職した詩織さん。

地域密着型の医療のありかたに触れ、看護師として新たなやりがいを見出すことができたようです。

同じ業種・職種へ転職する場合でも、職場によって求められる資質や能力が大きく異なることはめずらしくありません。

前職の総合病院でも「頑張りたい」という思いを強く持っていたものの、日勤と夜勤がランダムに続く出勤体制に慣れることができず、体力面で限界を迎えつつあったことが窺えます。

一方で、転職を機に看護師を目指した原点ともいえる「人の役に立つ仕事、人と接する仕事をしたい」という思いに立ち返るきっかけを得たとのこと。

実際、転職後は患者さんとゆっくり話すことができるようになり、結果として仕事に本当のやりがいを見出すことができたようです。

環境が変わることで自身が携わっている仕事の新たな一面に気づいたり、改めてやりがいを見出せたりすることもあります。

転職によって待遇の改善やキャリアアップを実現していくことも大切ですが、こうした「自分の中での変化」をきちんと見つめていくことも非常に重要なポイントといえるでしょう。

4位:リストラ後に苦労して転職した会社で、「あの年齢でその年収」と言われて。

45歳での転職という経験をとおして、「世の中はとても厳しい」ということを思い知らされました。

私は35歳から40歳のときまで、いったんサラリーマンを辞めて、心理カウンセラーを開業していました。

理由はというと、長年の会社勤めに嫌気がさしてしまったのです。
かといって新たに資格を取得する根気もなく、それで、もともと興味のあった「心理カウンセリング」なら開業の初期費用もあまり必要ないだろうと思ったのがきっかけです。

そんなきっかけでしたので、当然うまく行くはずもなく。お客さんは殆ど来ずに赤字経営が続き、結局5年間で廃業しました。

心理カウンセラーを廃業したときは40歳。そして私は、再びIT企業に経理部門の一般職の正社員として就職しました。

(中略)

転職して気付けたことは、色々あります。

まず、45歳での転職という経験をとおして、「世の中はとても厳しい」ということを思い知らされました。

人間すべてが平等などというのは幻想にすぎない──と。

もし、専門学校を卒業してから新卒で入社した会社にずっと勤務していたら、今頃は最低でも課長職となって部下を5名くらいは持ち、年収も700万円くらいはもらっていたことでしょう。

そして、離婚も、していなかったでしょう。

そう思うと、居た堪れない気持ちになります。

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「やりたいこと」と「できること」

35歳で一度した独立のち会社員に戻り、退職勧告リストに名前が載ったことをきっかけに45歳で再び転職したという明仁さん。

もともと独立精神が旺盛で、ご自身で道を切り開いていきたいタイプなのでしょう。

ただし、自分の中で「やりたいこと」と、現状「できること」との差異を慎重に見極める必要があります。

転職や独立には思い切りの良さが必要な場合がありますが、入念に計画を立てておくことも非常に重要です。

明仁さんが新たな職場で陰口を言われてしまったように、ある程度の年齢に達している転職者は周囲から厳しい目を向けられるケースも少なくありません。

まして、独立開業という「外の世界」を経験したからには、もともと会社員として働いていた人以上にハードルの高さを感じる場合もあるでしょう。

定年退職するまでに再び新たなビジネスに挑戦することも考えているとのこと。

次なる挑戦では、これまでの経験を糧に成功を収めていくのかもしれません。

3位:55歳。業績不振でリストラが始まって、その後癌が見つかって。

「少しずつでも、一緒に進みましょう」 「この会社の為に頑張っていこう」──このとき、そう強く思いました。

さて、新天地でこれから頑張っていこう。
──そう意気込んでいた矢先に、自分の癌が発覚しました。

治療を続けるも、効果が芳しくありませんでした。
大学病院に転院することが決まった時、私は「…自分も、これで人生が終わった」と、思いました。

更には、私の治療中に、高齢でした父親が体調不良で急遽入院して、結局、そのまま帰らぬ人になりました。

私は父親の葬儀の為に、入院中の病院を2,3日抜け出し、一式終わって再度、治療へと病院に戻りました。

「これから先へと進まねばと言う時に、なんて自分は恵まれてないのか…!」何度もそう思い、自分の運命を恨みました。

──父親の葬儀のときには、高齢のなか無理して立ち会った母親と、生計を立てるためフルタイムで勤務している妻がいました。私は二人の案じ、そして、自分のふがいなさを呪いました。

葬儀を終えたのちも、私はしばらく治療を続ける必要がありました。今の会社も、これだけ長期間休んでいたら、クビになるのも時間の問題。

──もはや、お先真っ暗でした。

(中略)

私は長期欠勤のお詫びも兼ねて、会社にあいさつに訪れました。
すると、社長が自ら私のところにやってきてくれて、こう話してくれたのです。

ゆっくりでいい。急がなくていいから。そして、少しずつ復帰して、うちの会社の仕事を手伝ってほしいんだ。

──私は、これから先も治療の為、入退院を繰り返すことになることを説明しました。

すると、社長はこう言われました。

それでもいい。少しずつでも、一緒に進みましょう。

──もう、感無量でした。

「こんな会社が世の中に存在するのか」と思いました。会社という組織の中で、こんな「人の温かさ」に触れたのは、これが初めてでした。

そして私は、「この会社の為に頑張っていこう」──このとき、そう強く思いました。

その後、私は職場復帰を果たしました。

完全復帰──とまではいきませんが、徐々に、働く時間を長くしていきながら、身体を慣らしているところです。

元の体験談記事はこちら▽

仕事を通じて「人の温かさ」に触れるということ

リストラ勧告と病魔、さらには肉親の他界という三重の逆境に晒されながらも、転職して着実に新たな道を歩み始めたという、くまさんのエピソードです。

リストラや病気、身内の不幸は、いつどのタイミングで訪れるか予想できません。

多くの人にとって、「まさか自分がこんな目に遭うとは」と感じるケースがほとんどでしょう。

くまさんもまた、転職していよいよこれからというタイミングで癌を宣告されてしまいます。

入社したての時期に長期間休まざるを得なくなり、その後も入退院を繰り返すことが分かっているという状態だったのです。

しかし、新たな職場の社長は、こうした状況を理解してくださり、「一緒に進みましょう」と言ってくれたとのこと。

転職のきっかけがリストラ勧告と年収ダウンだったとはいえ、結果として転職を決意したのは正解だったといえるでしょう。

ひたむきに努力を続けていく中で人の温かさに触れ、救われることもあるのです。

体調不良や病気などで悩んでいる方にとって、非常に励みになるエピソードではないでしょうか。

2位:40代からの転職、金属加工会社から食品メーカー勤務へ

無職になって稼ぎがなくなって、転職面接から帰ってくる私を、妻と子は笑顔で迎えてくれました。 まるで、「ここにいて、いいんだよ」と言ってくれているようでした。

転職活動するまでは、「選ばなければ仕事はいくらでもあるだろう」と、正直ナメていました。

でも、いざ転職活動に入ると、現実は想像以上に厳しいものでした。

ハローワークで仕事を探したのですが、応募する仕事はことごとく不採用。

100社以上応募したでしょうか。
その内、面接まで進めたのは数えるほどで、ほとんどが門前払い。

年齢もネックになっていたのでしょう。
面接まで進めた企業も全て不採用です。

(早く仕事を見つけないと)という不安と焦りばかりが募って、でも状況は一向に前に進みません。心身共に疲れ果てました。

(中略)

無職になって稼ぎがなくなって、転職面接から帰ってくる私を、妻と子は笑顔で迎えてくれました。それは、まるで

ここにいて、いいんだよ

と言ってくれているようでした。

そしてなんとか転職した先の職場では、同僚が右も左もわからない私に親切丁寧に手ほどきをしてくれて。
「なんて、自分は何もできない存在なんだろう。そして、どれだけ周りの人に助けられているんだろう」、そう思いました。本当に、感謝の言葉しかありません。

つまり、人はひとりでは生きられない。
助け合い、支え合いの中で生活しているのだということに気づけました。

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心の支えがエネルギーの源に

前職の勤務先の業績悪化を受け、1年半の求職期間を経て転職に成功したスーさん。

長期にわたる転職活動中、ご家族の存在が何よりの心の支えになったとのことです。

転職を通じて家族や同僚の存在に改めて感謝し、支え合って生きていくことの大切さを実感したといいます。

「家族のために」という言葉にはごまかしもあった、と以前のご自身を振り返っている点も印象的です。

仕事が順調な時に自分を支えてくれている人の存在を忘れてしまうのは、決してこのエピソードだけに限った話ではないでしょう。

1年半ものブランクを経て、改めて家族の存在の大きさに気づけたことが、スーさんにとって何よりの収穫だったのかもしれません。

逆境に立たされた時、1人では抱えきれない悩みや不安を抱くこともあるはず。

人生が順調な時にも絶えず周囲の方々の存在に感謝し、自分1人で生きているわけではないことを忘れずにいたいものです。

1位:新しい職場で待ち受けていたのは、40過ぎた新人への「冷たい視線」

私だけ誘われなかった飲み会…。「俺にも飲ませろ~」─と乱入しました。

新しい職場で待ち受けていたのは、40過ぎた新人への「冷たい視線」と「冷たい対応」でした。

キャリア採用者は、なかなか受け入れて貰えない風土があり、最初に仕事の概要だけ伝えられ、「あとは出来て当たり前」と言わんばかりに何も教えても貰えず参りました。

一番参ったのは就職して1ヶ月が過ぎた頃、私の部所で飲み会の案内が回っていたのですが、私だけ回ってきませんでした。普通なら歓迎会も兼ねて誘うでしょ…。

このままではダメだと思い飲み会の場所と時間は解っていたので、飲み会当日、笑顔で

俺にも飲ませろ~~

──と乱入しました。

皆さん呆気に取られていましたが私は何食わぬ顔で酒をついで廻ってバカ話に花を咲かせ、ようやく打ち解けて2次会3次会へ。

翌日から、やっと会社の一員になれたと言うか、スタートラインに立てました。

(中略)

転職して3年が「あっ」と言う間に過ぎました。

この間、山あり谷ありでしたが今年から某事業所の所長として新たな道を進むこととなりました。

今回の転職で実感した事は、転職は相当の覚悟が必要だということです。

自分の意思で転職したのに、どうしても「前の会社ではこうだった」「私は今までこうしてきた」「何でこんな無駄な事をするのか」など今までの比較と言うか、見下した物事の考え方を、転職当初は無意識にしていました。

自分の今までの経験値は、客観的に物事を判断する時のエッセンスとして持ち、新しい仲間と真剣に考え・アイデアを創造する事が更なるキャリアアップに繋がる事であり、会社が求めている事だと気づきました。

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自分のほうから溶け込むための行動を起こす、ということ

年齢を重ねてからの転職には、相応の覚悟が求められます。

これまでのキャリアが長ければ長いほど、無意識のうちに思考の癖や先入観が染みついていることも少なくありません。

上記のエピソードでも、同僚が冷たく感じられたことを転職当初は「そういう職場なのだろう」と捉えていた面があったようです。

しかし、振り返ってみると自身の考え方にも原因があったことに気づいたとのこと。

歓迎会すら開いてもらえず、露骨に仲間外れにされてしまったら、「こんな職場ではとてもやっていけない」と考えてしまいそうなもの。

飲み会への乱入という一幕が、それまでの流れを大きく好転させたことは明らかです。

行動は一見すると無茶なようにも思えますが、職場に溶け込むために自分から行動を起こしたことが、人柄を知ってもらい仲間として認めてもらうための大切なきっかけになったのでしょう。

「キャリア採用者は受け入れてもらえない職場のようだ」「そういう風土の会社だから仕方がない」と自分の中で諦めてしまったら、このような行動には出られなかったはずです。

とくに40代以上で転職を考えている方にとって、転職活動中だけでなく入社後も留意しておくべき教訓を伝えているエピソードではないでしょうか。

まとめ)転職はゴールではなくスタート地点

多くの人に読まれた転職体験談TOP10をご紹介してきました。

どのエピソードにも共通しているのは、転職先が決まるところまでがゴールではなく、新たな職場に馴染めるかどうか、結果として転職して良かったと思えるかどうかが重要な鍵を握っているという点です。

転職の「その後」について、貴重なエピソードを追体験できる、そんな体験談ばかりだったのではないでしょうか。

今回ご紹介した1つ1つのエピソードを、ぜひご自身の今後のキャリアにも活かしてください。

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