「誠実」とは何か? そしてなぜ、私たちはときに「不誠実」になってしまうのか
[最終更新日]2025/06/26

誰かの誠実なふるまいに心を打たれたこともあれば、自分が正直になれなかった場面を後悔したこともある。
誠実さは、人と人との信頼を築くうえで欠かせない価値です。でも同時に、それを守りきることが難しい瞬間も、私たちは経験しています。
目次
1)私は、「誠実な人」なのか?
「誠実な人」と聞いて、あなたはどんな顔を思い浮かべるでしょうか。 約束を守る人、嘘をつかない人、信頼できる人…。それはきっと、誰かとの関係を大切にしている姿かもしれません。
では、自分は「誠実な人」だと言えるでしょうか?この問いは、簡単なようでいて、意外と答えるのが難しいものです。
誰かの「誠実さ」に、心を打たれるとき

たとえば、ある同僚が自分のミスを素直に認め、率直に謝っていた。あるいは、誰も見ていない場面でルールを守る人を見かけた。──そんな時、私たちはその人の誠実さにハッとすることがあります。
誠実さとは、派手な善行ではなく、小さな行動ににじみ出るものかもしれません。 そして、そうした姿に触れたとき、「ああ、自分もああいうふうでありたい」と、どこかで思っている自分に気づくことがあります。
自分は誠実と言えるのか?

誰かの誠実さにはすぐ気づけても、自分のこととなると、基準が曖昧で判断が難しく感じられます。 たとえば、頼まれごとに「検討します」と言ったまま返事をしなかったり、その場の空気を優先して本音を飲み込んだり。
それらがすぐに「不誠実」とは言いきれなくても、果たして誠実だったかと問われると、胸を張れないこともあります。 「自分は誠実な人間?」という問いは、簡単なようでいて、答えるのがむずかしいものかもしれません。
誠実さは主観?それとも客観的な基準がある?

ところで、誠実さとは、自分でそう思っていれば成立するものでしょうか? それとも、相手の受け取り方や、社会的な基準によって決まるものなのでしょうか。
実際、「誠実だったつもり」という気持ちと、「誠実には見えなかった」という印象が食い違うことは、珍しくありません。
「誠実な人とはどんな人か?」──この問いに、私たちは日常的な感覚でなんとなく答えることができます。 けれど、少し立ち止まって考えてみると、その定義は案外あいまいです。 嘘をつかない、約束を守る、他人に誠意をもって接する…。
どれも正しそうですが、何をもって「誠実」と呼ぶかは、見る角度によって少しずつ違ってきます。
次の章では、誠実さについての理解を深めるために、倫理学・心理学・社会学の3つの学術的視点から、その意味と輪郭を探ってみたいと思います。
2)「誠実とは何か」の探求── 倫理学、心理学、社会学それぞれの定義
倫理学の視点──「どう生きるべきか」の中の誠実さ

倫理学は、「人としてどう生きるべきか」「どのような行動が正しいのか」を考える哲学の一分野です。誠実さについても、古代から現代まで、さまざまな視点から語られてきました。
たとえば、古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、誠実さを「徳(とく)」のひとつと位置づけています¹。 彼が重視したのは、極端を避けたちょうどよいあり方です。嘘をつかないのはもちろん、率直すぎて人を傷つけるような言動も慎む。そのような中庸の態度こそが、望ましい人間性とされました。
18世紀に入ると、ドイツの哲学者カントが『実践理性批判』の中で、誠実さを「道徳的な義務」として位置づけます²。カントにとっては、「嘘をつかないこと」は例外のない絶対的な原則です。 つまり、誠実さとは、どんな場合でも正直であろうとする姿勢を意味しています。
さらに19世紀、イギリスの哲学者J.S.ミルは、功利主義の立場から誠実さを評価しました³。 功利主義とは、「できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福をもたらす行為こそが正しい」とする考え方です。 この考えでは、誠実な行動が人々の信頼を育み、その信頼が社会全体の幸福につながるかぎり、誠実さは「正しい」とされます。
このように、誠実さのとらえ方は、時代や思想によって異なります。
人格の理想としての誠実(アリストテレス)、道徳的義務としての誠実(カント)、そして社会的な結果から評価される誠実(ミル)。──いずれも、「誠実とは何か?」という問いへのひとつの答えです。
つまり誠実さは、動機、行為そのもの、そしてその結果のどこに重きを置くかによって、意味合いが大きく変わってくる概念だと言えるでしょう。
心理学の視点──「誠実さ」は性格?それとも選択?

倫理学が「人はどうあるべきか」を考える学問だとすれば、心理学は「人が実際にどう振る舞うか」に注目します。
たとえば性格心理学では、「HEXACOモデル」と呼ばれる性格理論の中に、「正直さと謙虚さ(Honesty-Humility)」という特性があります⁴。 これは誠実さに深く関わる要素で、この特性が高い人ほど、嘘をつかず、他人を操作せず、約束を守る傾向があるとされます。
また、ジョナサン・ハイトらによる道徳心理学では、誠実さは「公正さ」や「ズルをしないこと」に関わる感覚とつながっていると考えられています⁵。 人は、他人の嘘や裏切りに強い怒りや嫌悪を覚えるだけでなく、自分自身の行動に対しても「これは不公平ではないか?」と無意識に問いかける心の働きを持っているとされます。
さらに、行動経済学者ダン・アリエリーの研究では、人は誰しも「少しだけ不正をしたい」という誘惑を抱えがちであり、それを自分なりに理由づけしながら実行してしまう傾向があることが示されています⁶。 ただし、道徳的な規範をあらかじめ思い出させることで、不正の行動は大きく減ることもわかっています。
このように、心理学の視点では、誠実さは「生まれつきの性格」である一方で、「そのときどきの状況や選択に左右される行動」でもあります。 「私は誠実な人間か?」という問いは、「私はこの場面で誠実な行動を選べるか?」という問いに言い換えることができるのです。
社会学と進化の視点── 誠実さは「人間社会」に必要なものか?

誠実さについて考えるうえで見逃せないのが、「なぜ社会の中でこれほどまでに重視されるのか?」という問いです。ここでは、社会学や進化心理学の視点がヒントになります。
社会学者フランシス・フクヤマは、誠実な人が多い社会では「社会的信頼」が育まれ、契約やルールに頼りすぎなくても、自然と協力が成り立つと述べています⁷。誠実さは、人と人との関係を円滑にする“潤滑油”のような役割を果たすのです。
一方、進化心理学の立場では、誠実なふるまいは人類が生き延び、発展していくうえで重要な戦略だったと考えられています。信頼できる人は集団から受け入れられやすく、協力し合える関係に加わるチャンスも多くなります⁸。そうした協力のつながりが、人類の進化を支えてきたというわけです。
このように、誠実さは単なる個人の美徳にとどまらず、集団の安定や成長を支える「社会的な機能」も持っていることがわかります。
ここまで見てきたように、誠実さは「美徳」「義務」「性格」「選択」「社会的機能」など、立場によって多様な意味をもっています。それでも共通しているのは、「信頼を裏切らないこと」という一点です。
だからこそ、誠実な人は信頼を集め、不誠実な行動は強い反発を生むのです。
とはいえ、どんなに誠実であろうとしても、私たちはときに嘘をついたり、ごまかしたりしてしまうことがあります。 次の章では、そうした「誠実でいられない瞬間」はなぜ起こるのか、心のはたらきに注目して考えていきます。
●注釈・出典一覧
1. アリストテレス(著)、渡辺邦夫(訳)『ニコマコス倫理学』岩波文庫
2. イマヌエル・カント『実践理性批判』、中央公論新社
3. J.S.ミル『功利主義論』岩波文庫
4. Ashton, M. C., & Lee, K. (2007). “Empirical, theoretical, and practical advantages of the HEXACO model of personality structure.” Personality and Social Psychology Review, 11(2), 150–166.
5. Haidt, J. (2012). The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion. Pantheon Books.
6. Ariely, D. (2012). The (Honest) Truth About Dishonesty. Harper.
7. Fukuyama, F. (1995). Trust: The Social Virtues and the Creation of Prosperity. Free Press.
8. Axelrod, R., & Hamilton, W. D. (1981). “The evolution of cooperation.” Science, 211(4489), 1390–1396.
3)なぜ私たちは、ときに「不誠実」になってしまうのか?
「誠実でいたい気持ち」と「ズルしたい誘惑」は、いつも隣り合わせ

多くの人は「誠実な人間でありたい」と思っています。それでも私たちは、ときに小さなズルやごまかしに手を伸ばしてしまうことがあります。
行動経済学者ダン・アリエリーは、実験を通じて人は「正直でいたい気持ち」と「少しだけ得をしたい誘惑」のあいだで常に葛藤していると指摘しました¹。 たとえば、報酬がかかった場面で成績をごまかす人の多くは、「みんなやってる」「ほんの少しだから」と、心の中で理由をつけながら行動していたのです。
つまり不誠実さは、冷酷な悪意から生まれるというよりも、「ちょっとだけなら」という感情の隙間からすり抜けてくるものなのです。
なぜ人は“不誠実”を正当化できてしまうのか?

不誠実な行動の背景には、「自分は悪くない」と思いたい気持ちが隠れています。 心理学者バンデューラはこれを「道徳的切断」と呼び、人が自らの不正行為を正当化する典型的なプロセスを明らかにしました²。
たとえば「これは正義のためだから」「誰にも迷惑はかけていない」「上司の命令だったから」といった言い訳によって、自分の行動の道徳的な意味合いを切り離してしまうことがあるというのです。
さらに、「他人もやっている」と思うことで罪悪感が軽くなったり、「自分は特別だから許される」という楽観バイアスが働いたりすることもあります³。 人は“悪いことをしている”という実感を回避することで、不誠実になれる構造を自らの中に作ってしまうことがある──ということです。
誠実さを損なう「心の疲労」── 意志力は有限である

「今日はもう疲れたから、これくらいでいいか」──そんなふうに、判断の精度が落ちる瞬間は誰にでもあります。 心理学者ロイ・バウマイスターは、自己制御(セルフコントロール)は筋肉のように疲弊するとする「意志力の消耗理論」を提唱しました⁴。
実験では、強い自制を必要とする作業のあとに誘惑を与えると、不正や怠惰な行動をとる確率が上がることが確認されています。
つまり誠実さを保つには、エネルギーと余裕が必要だということです。 睡眠不足やストレス、長時間労働などによって脳が疲れていると、私たちは判断力や道徳的な抑制力を発揮しづらくなるのです。誠実であり続けるには、心の健康を整えることもまた重要ということでしょう。
不誠実さは「例外」ではなく、「誰にでも起こりうること」

不誠実な行動は、「モラルの低い一部の人だけがするもの」と思われがちです。 しかし、これまで見てきたように、実際には多くの人がごく小さな不正から始めてしまうことがわかっています。
たとえば、「模造品のサングラスを着けた人は、その後の実験課題でカンニングの割合が高くなる」という興味深い研究があります⁵。これは、「自分は少しズルをしているかもしれない」という感覚が、その後の行動にも影響を与えることを示しています。
最初は軽い言い訳で済ませた小さな不正でも、何度も繰り返すうちに、「自分はそういう人間なんだ」と考えるようになり、やがてより大きな不正への抵抗感が薄れていきます。 また、職場や身近な人の不誠実なふるまいを見たときに、「自分も少しくらいならいいか」と感じてしまうこともあるでしょう。
このように、不誠実さは特別な人の問題ではありません。 誰にでも起こりうる、心の中で自然に生まれてしまう現象として捉える必要があるのです。
●注釈・出典一覧
1. Ariely, D. (2012). The (Honest) Truth About Dishonesty. Harper.
2. Bandura, A. (1999). Moral Disengagement in the Perpetration of Inhumanities. Personality and Social Psychology Review, 3(3), 193–209.
3. Shalvi, S., Gino, F., Barkan, R., & Ayal, S. (2015). Self-serving justifications: Doing wrong and feeling moral. Current Directions in Psychological Science, 24(2), 125–130.
4. Baumeister, R. F., et al. (1998). Ego depletion: Is the active self a limited resource? Journal of Personality and Social Psychology, 74(5), 1252–1265.
5. Gino, F., Norton, M. I., & Ariely, D. (2010). The counterfeit self: The deceptive costs of faking it. Psychological Science, 21(5), 712–720.
4)誠実さを育てるための対策── 小さな実践から始めよう
誠実でありたい。けれど、いつもうまくできるわけではない――。 そんな実感を持っている人は、きっと少なくないはずです。
でも実は、誠実さは“意志の強さ”だけで決まるものではありません。 ちょっとした工夫や、考え方のクセを知ることで、ふだんの選択を少しずつ誠実な方向へ整えていくことができるのです。
この章では、心理学や行動科学の知見をもとに、「誠実さを育てるヒント」を3つ紹介します。 むずかしいことではなく、今日から取り入れられることばかりです。
対策1. 誠実さは「あなた自身の健康」にもポジティブに働きかける

誠実であることは、信頼されるだけでなく、自分の心と身体を整えることにもつながります。 ノートルダム大学の研究では、嘘をできるだけ控えるように指示された被験者グループは、数週間後に頭痛や喉の痛み、ストレス指標の減少が見られたと報告されています¹。
嘘をつけば、「矛盾しないように記憶を保たねば」という負荷が生まれ、精神的エネルギーが消耗されるのです。 一方で、誠実なコミュニケーションをとると、人との信頼関係が深まり、安心していられる人間関係が生まれやすくなります。
私たちが「この人には正直でいられる」と感じる相手と過ごすと、心理的安全が生まれ、自己肯定感も安定します。 誠実さとは、まわりの人のためだけでなく、自分の内面の健やかさを守る選択でもあるのです。
対策2. 「正直でいたい自分」を、思い出せる仕掛けをつくる

どんな人でも、判断を迷う場面はあります。そんなときにカギとなるのが、自分が“どうありたいか”という意識を思い出す仕掛けです。
実験では、行動の前に「私は誠実であることを誓います」と署名した参加者は、不正行為をほぼ行わなかったことが報告されています²。 これは「誠実でいたい」という自己イメージを意識するだけで、人は誘惑に対して強くなれることを示しています。
日常でも、「これは信頼を裏切っていないか?」「5年後の自分に胸を張れるか?」と問いかけることで、 私たちは誠実な選択の感覚を取り戻すことができるでしょう。「誠実さとは、未来の自分に対する責任感」と言い表すこともできそうです。
対策3. 小さな「正直さ」を重ねる習慣をもつ

誠実さは、大きな決断のときだけに試されるものではありません。 むしろ、日々のささいな選択――「すぐ返信する」「約束を忘れないようにメモを取る」「わからないことを正直に伝える」――こうした行動の積み重ねが、誠実さを自然な習慣にしてくれます。
たとえば、「今は面倒だけど、あとで困らないためにちゃんと伝えておこう」と一歩踏み出すこと。 あるいは、「これは言いにくいけれど、率直に話してみよう」と勇気を出すこと。 それら一つひとつが、“自分は正直でありたい”という感覚を強めてくれるのです。
誠実さは、生まれ持った性格ではなく、日々の練習で育てていける態度です。 だからこそ、小さな「正直な行動」を今日からひとつだけでも選ぶこと。 それが、誠実さを身につけていく最も確かな一歩になります。
注釈・出典一覧
1. Kelly, A. E., & Wang, M. (2013). A life without lies: The benefits of honesty on well-being. Notre Dame Well-Being Research Group.
2. Shu, L. L., Gino, F., & Bazerman, M. H. (2011). Dishonest deed, clear conscience: When cheating leads to moral disengagement and motivated forgetting. Personality and Social Psychology Bulletin, 37(3), 330–349.
まとめ)誠実さとは「選び続ける力」

ここまでの内容を、まとめてみましょう。
- 誠実さは「嘘をつかない」だけではなく、信頼を裏切らない態度全般を指す
- 倫理学・心理学・社会学などから見ても、誠実さの定義は多様ですが、共通するのは「信頼」の価値
- 不誠実さは、誰にでも起こりうること。疲労や合理化、誘惑への脆さが引き金になる
- 誠実さを育てるには、小さな実践・習慣・心の余白が鍵となる
- 誠実さは他者のためだけでなく、自分自身の健康と安定にも深く関係している
私たちは毎日、気づかぬうちに、たくさんの「選ぶ瞬間」を生きています。
黙ってやり過ごすか、ひとこと伝えるか。少しごまかすか、あえて正直になるか。
そうした何気ない分かれ道の中にこそ、誠実さの“かたち”がにじみ出てくるのかもしれません。
誠実さは、いつも完璧であることではなく、「どう在りたいか」と向き合い続ける姿勢に宿ります。
揺らぎ、迷い、ときに選び損ねる日があっても、自分なりに誠実さを選び直せること――
それが、信頼を育み、自分を大切にすることにもつながっていきます。
あなたにとっての「誠実さ」とは、どんな選択の積み重ねでしょうか。
もしまた迷う瞬間が訪れたら、この問いを静かに胸に置いてみてください。