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「愛しているけれど、好きではない」は矛盾してる?それとも自然な感情?

[最終更新日]2025/01/15

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愛しているけれど好きではない.矛盾してる?それとも自然な感情?

もしパートナーから「愛しているけど、好きじゃない」と言われてしまったとしたら、あなたはどう感じるでしょうか。驚きや悲しみ、そして「本当にそれは愛なの?」という疑問が湧いてくるかもしれません。

反対に、自分自身が相手に対して「愛している」と思っているのに、ふと「どうしても好きになれない部分があるんだよな……」と感じる瞬間があると、後ろめたさや戸惑いが生まれたりもしますよね。

目次

短期的に「好き・嫌い」が揺れ動く一方で深いところでは…?

まず、いちばん素朴な疑問から始めてみましょう。「愛しているのに好きじゃない」なんて、本当にあり得る状態なのでしょうか。

私たちは普段、「好き」という気持ちが高まっていく先に「愛している」があるようなイメージを抱きがちです。
好きの延長線上に愛があるなら、一方で「好きになれない」気持ちがあれば「愛している」とは言えないのでは?──そんなふうにも思う人もいるでしょう。

または、「愛する気持ちがあるのなら、『好きじゃない』と言って相手を傷つけてしまう行為に矛盾がある」と考える人もいるかもしれません。

しかし、人間の感情や関係性はそう単純ではありません。短期的に「好き・嫌い」が揺れ動く一方で、深いところで相手を大切に思う──そんな状態が存在することも事実なのです。

この矛盾のように見える現象を理解するために、まずは「愛」と「好き」という言葉の定義を整理してみましょう。

「愛する」と「好き」の定義

ふだん、私たちは「好きだから愛している」「愛しているから好き」と、あまり深く意識せずに言葉を使っているかもしれません。でも実は、「愛する」と「好き」とでは、その成り立ちや性質がかなり異なると考えることができるのです。

愛する=意思と行動

エーリッヒ・フロムなど、多くの思想家や心理学者が示唆しているのは、「愛は単なる感情ではなく、行動や態度、そして相手を思いやる“意思”の総体である」という考え方です。

  • 相手の幸せや成長を願う気持ち
  • 負の感情があっても見捨てない意志
  • 必要なら自分を犠牲にする覚悟

これら「愛」の定義の特徴のひとつに挙げられるのは、“こうしたい”“こうありたい”という能動的な姿勢です。

好き=現在の感情

一方で、「好き」はもっと短期的・感情的な要素が強い言葉と言えるでしょう。

  • 好悪の感覚に左右されやすい
  • 相手の態度や状況次第で急激に変わることもある
  • 今この瞬間に抱いている思い

「今日はなんだか相手の話し方が気にさわる」「いつもと違う行動が目に付いてしまう」といった些細なことで、好きという感情は揺れ動きます。つまり「好き」は、わりと移ろいやすい感情なのです。

「愛は行動、好きは感情」といった切り分けは、さまざまな賢人・思想家・心理学者も指摘しているところです。では、彼らは「愛しているけど好きじゃない」という状態に対して、どのように考えるのでしょうか。ここでは代表的な3名の人物をご紹介します。

取り上げるのは、エーリッヒ・フロム、C. S. ルイス、M. スコット・ペックという3人の“愛の専門家”とも言える賢人たちです。いずれも20世紀を中心に活躍し、それぞれの立場で「愛」に関する著作を残してきました。

初めて聞く名前の方もいらっしゃるかもしれませんが、ゆっくり読み解いていくことで、きっと「愛しているのに好きじゃない」という不思議な感覚へのヒントが見つかるはずです。

※ ここで紹介する人物達が「愛しているけど好きじゃない」についてどう考えるかは、彼らの主著のメッセージからの推測になります。「実際にそのように考えた」ということではありませんので、ご注意ください。

賢人たちの視点① エーリッヒ・フロム(Erich Fromm)

愛は努力や学習、そして行動の積み重ねによって完成度を高めていくもの エーリッヒ・フロム(1900~1980 ドイツ)社会心理学者・精神分析家

エーリッヒ・フロムはドイツ出身の社会心理学者・精神分析家で、20世紀を代表する思想家の一人です。ナチス政権の台頭を避けてアメリカに渡り、そこで研究や執筆活動を続けました。著書『愛するということ(The Art of Loving)』は、世界中の読者から愛読されている名著です。

エーリッヒ・フロムの「愛しているけど好きじゃない」に関する見解の推測

フロムは愛を「技術(Art)」と捉えています。つまり、愛は努力や学習、そして行動の積み重ねによって完成度を高めていくものだ、というのです。

恋愛の熱が冷めても「相手を思いやる」「支え合う」という意志があれば、それは十分に愛している状態と言えます。一時的に「好き」という感情が萎えてしまったとしても、愛があれば行動を継続できる──そうフロムは考えていると言ってよいかもしれません。

賢人たちの視点② C. S. ルイス(C. S. Lewis)

人間の愛は大きく愛情、友情、エロス、慈愛の4つに分類される C. S. ルイス(1898~1963 イギリス)『ナルニア国ものがたり』シリーズの作者

C. S. ルイスはイギリスの文学者・神学者として知られ、『ナルニア国ものがたり』シリーズの作者としても有名です。彼はキリスト教に基づいた深い信仰を持ち、「愛」についても多面的な考察を残しました。代表作のひとつに『四つの愛(The Four Loves)』があります。

C. S. ルイスの「愛しているけど好きじゃない」に関する見解の推測

ルイスによれば、人間の愛は大きく「愛情(ストルゲ)」、「友情(フィリア)」、「エロス(ロマンティックな愛)」、「慈愛(アガペー)」の4つに分類されます。

そのうちの一つ「慈愛(アガペー)」は、相手を好きか嫌いかという感情を超えて、相手の幸せを最優先に考える愛です。
ここでは「一時的に好きだと思えない部分があっても、根底でその人を見放さない」という姿勢が重視されます。「愛しているけど好きではない」が成り立つのは、まさにアガペー的な発想に近いと言えるでしょう。

一方、エロス(ロマンティックな愛)はどうでしょうか。ルイスはこれを「相手そのものを求める強い情熱を伴う愛」と定義しています。この場合、「愛しているけど好きじゃない」という感情は矛盾しやすいでしょう。
つまり、「愛」という言葉の捉え方によって、「愛」と「好き」の関係性は大きく異なるのです。

賢人たちの視点③ M. スコット・ペック(M. Scott Peck)

愛とは相手の精神的成長を促す意志や行為である M.スコット・ペック(1936~2005 アメリカ)ベストセラー『愛と心理療法』を書いた精神科医

アメリカの精神科医であり、ベストセラー『愛と心理療法(The Road Less Traveled)』を書いた人物です。ペックは宗教、心理学、哲学を横断するかたちで、人間の内面や行動を探求し続けました。

M. スコット・ペックの「愛しているけど好きじゃない」に関する見解の推測

ペックは「愛とは相手の精神的成長を促す意志や行為である」と定義しています。
つまり、愛は単なる感情ではなく、関わり続けること、相手のために行動を取り続けることが重要だということです。

嫌いになりそうな瞬間があったとしても「投げ出さずに一緒に成長したい」と思えるなら、それはすでに愛している証拠だといえます。

先に行動を起こす(愛する)ことで、その後に感情(好きになる)がついてくる場合がある

ところで、人を好きになるとき、多くの方は「相手を好きだと感じたから、愛し始める」という順番を想像しがちです。
感情が先にあって、それに伴って行動が生まれる――これはごく自然なイメージかもしれません。

しかし、果たしてすべての場合において「好きの感情が先」なのでしょうか?そもそも「愛する」という行為は、必ずしも“好き”と感じてからでなければ始められないものなのでしょうか。

「好きになるが先」というイメージは根強いが、そうとも言い切れない

哲学者・心理学者のウィリアム・ジェームス(William James)は、「行動は感情に先立つ」と提唱しています。これは、先に行動を起こすことで、その後に感情がついてくる場合があるという考え方です。

もし「愛する=行動」「好きになる=感情」と置き換えるならば、「まず愛する行動をとってみることで、結果的に“好き”の感情が後から芽生える」というケースもあり得るということです。

たとえば、パートナーとの関係で「最近、相手のことを好きと言い切れない」と感じる場面を想像してください。そこで、「好きだという感情がないから、何もしない」と考えてしまうと、さらに関係は冷え込んでしまうでしょう。

一方で、「今は気持ちが盛り上がらないけれど、愛しているからこそ相手を大切に扱ってみる」と、意識的に行動を起こしてみる。具体的には、きちんと挨拶を交わしたり、困っていれば手を差し伸べたり、相手の話をしっかり聞いてあげたりするということです。
すると、いつの間にか「やっぱりこの人、好きかもしれない」と、自分の中にポジティブな感情が戻ってくることがあります。

つまり、愛と好きは必ずしも「好きが先→愛が後」という直線的な順序で語られるものではなく、ときには「愛する行動が先」で、それによって感情が呼び起こされることもあるのです。

これは、ちょっとした行動が関係性を変えたり、自分の感情に新たな変化をもたらしたりする可能性を秘めている、希望のある考え方と言えるのではないでしょうか。

『愛』は未来に向かう。『好き』は瞬間を彩る感情。

最後に、「愛」と「好き」が持つ時間的なイメージについて考えてみましょう。

愛は「未来」に向かう

愛にはさまざまな形がありますが、特にパートナーに向けられる愛には、“これからも相手の人生に寄り添い、幸せや成長を願い続ける”という意思がその「核」として存在します。

もし、あなたや相手が「先々を共に歩んでいこう」と考え、行動に移しているのなら、それはまさに愛の表れと言えるでしょう。

好きは「今」を彩る感情

一方の「好き」は、そのときどきの瞬間に「一緒にいて楽しい」「かわいい・かっこいい」など、心がときめくかどうかがポイントになることが多いです。

もちろんこうした感情も人生を彩るうえでとても大切なものですが、変化が激しく、永遠には続かないことも多いです。

「愛」は長いスパンで育て、維持していくものであり、「好き」は短いスパンで揺れ動くものとも言えます。
一時的に「好き」ではない気持ちが湧いても、長期的な視野で相手を大切に思えるなら、それは十分に“愛している”といえるでしょう。

未来を見据えた行動が続いている限り、「好き」という感情も再び甦る可能性があるのです。

  • 愛は意思・行動で示される長期的な関係性の礎
  • 好きは短期的・感情的で、移ろいやすいもの
  • 「行動が感情に先立つ」という考え方を実践すれば、“好き”の感情を取り戻す道もある

「愛しているけれど、好きではない」と言われてしまった人、あるいは自分自身がそう感じてしまっている人も、あまり悲観しすぎる必要はありません。

確かに、感情としては「好き」という気持ちを感じられない時間があるかもしれませんが、そこに“相手を見捨てない意思”や“未来に向けて支え続けたいという行動”があるのなら、それは立派に「愛している」証拠ともいえるのです。

人間の心は複雑で、ときには感情が追いつかない瞬間もあります。でも、行動を通じて相手を想い続けることで、新たな「好き」の目が芽生えてくることも十分にあり得ます。

ぜひ、あなた自身の気持ちと向き合いながら、愛と好きの両面に注目してみてください。少しずつでも歩み寄り、行動を起こしていくことが、新しい関係の可能性を開いてくれるはずです。

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