『仕事のワクワクを探す旅』#009

fuuさん|ミュージシャン。目の前の人に感動とサプライズを与える。そんな生き方をしたい。

fuuさん インタビュー
 

会社員からミュージシャンへ。
「好き」と「やりたいこと」を探求した結果。

ふと立ち止まって、耳を澄ましたくなる。そんな澄んだ歌声と、優しいストーリーを紡いでいく詞の言葉たち。

幼稚園の頃からピアノを習い始め、高校生の初ライブの日には一人でステージに立ったというfuuさん。演奏の際に彼女がずっと大切にしていたのは、「聴いている人に感動とサプライズを与える」ことでした。

大学卒業後は一般企業に入社。
大手IT企業のDX推進部チームリーダーとして活躍した後、現在はパスタ屋のアルバイトとして働きながら、音楽好きな人たちに囲まれた毎日を過ごしています。

本インタビューでは、そんな彼女のユニークなキャリアと、仕事に対する考え方、そして自分の「好き」と「やりたいこと」を探求し続けた軌跡を、辿っていきます。

目次

Profile

fuu

職業:ミュージシャン(歌、ピアノ、ギター)、採譜、アレンジャー
住所:東京都
Web:fuuアルバム配信サイト  

1)聴いている人を感動させたい。笑顔にさせたい。

ピアノを奏でるのが好き。でも、ピアニストになりたいわけではなかった。

ピアノを弾く少女

──はじめに、fuuさんの子どもの頃について、音楽との出会いと併せて教えていただけますか?

「音楽の出会い」というと、もう本当に物心ついたときから。
父も母も音楽が大好きで、家では朝からボサノヴァやジャズの曲がかかっていて、そんな環境で育ちました。

幼稚園の時にピアノを買ってもらって、ピアノ教室にも通わせてもらって、それからはずっとクラシックの曲を弾いていました。

──その頃から、「将来は音楽の道に進もう」と考えていたのですか?

いえ、子供の頃は、音楽のプロ=ピアニストだと思っていたんですよね。
実際、ピアノ教室のお友達も音大進学を目指す子たちばかりでした。
私は別にクラシックがやりたかったわけでも、ピアニストになりたかったわけでもなかったので、私にとって練習はつまらないものでした。

ただ、中学の時に『黒いオルフェ』(Tips1参照)という曲に出会って、このときはじめて「こういう曲をたくさん演奏したい」って思うようになりました。

Tips1『黒いオルフェ』

映画『黒いオルフェ』

画像引用元:Helmuth Ellgaard (1913-1980) – Holger.Ellgaard – Familienarchiv Ellgaard, CC

映画『黒いオルフェ』は、1959年のブラジルを舞台に、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディーチェの伝説を、リオのカーニバルへと鮮やかに置き換えた幻想的な物語です。
作中のテーマ曲「黒いオルフェ(カーニバルの朝)」はボサノヴァの調べに乗り、情熱的かつ儚い恋を印象的に浮かび上がらせます。

──なぜ、「黒いオルフェ」のような曲を演奏したいと思ったのですか?

たまたま家にあった音源を真似して試しに弾いてみたら、聴いていた母がすごく喜んでくれたんですね。
それ、ママがすごく好きな曲なのよ!」って、一緒に歌ってきたりして。そんな母の様子を見て、私も嬉しくなって。

このときに私は、「音楽で人を笑顔にする楽しさ」を知ったのだと思います。
課題曲を正確に弾くこと(それもとても大事なことですが)より、聴いている人たち生の反応がより返ってくるような演奏。
それからは、もっとエンターテインメント寄りの曲を弾くようになりました。ジブリとか、フランシス・レイの映画音楽とか。自分で曲を選んで、先生に持ち込みをするなど、もっと広義的に音楽に関わるようになっていったんです。

歌を歌いたいな、と思ったのもその頃からですね。作詞作曲も始めました。

音楽と詩で、物語を紡いでいくこと。

ピアノを弾く高校時代のfuu

──作詞作曲を始めたのは、なにかきっかけがあったのですか?

中学生の頃、音楽のほかにも漫画やゲームにもハマっていまして。『クロノトリガー』とか、『幻想水滸伝』とか。ライトなカジュアルゲームじゃなくて、けっこう重厚な方のゲームです笑。それらゲームで私が惹かれたのは、「物語」でした。

「物語を作りたい」と思ったときに、私の持つ手札が「音楽」だったんです。
まず、「設定」があって、それを耳障りの良い「歌詞」にして、それが「曲」っていう環境に乗っかって、一つのストーリーが展開されていく。そういうのをやりたかった。

例えば、「らくだとペンギン」っていうオリジナル曲があるんですけど、これは「砂漠のらくだと、南極のペンギンって、普通に生きてたら絶対に出会わないよなぁ。もし会わせたらどういう反応するんだろう」という疑問から、図書館で「極限環境生物図鑑」を借りて生態を調べたりして、作った曲です笑。

──実際にライブなどで人前に演奏するようになったのは、いつ頃からですか?

ライブデビューは高校3年の頃ですね。
高校に入ってからは軽音楽部に入って、それからたまにインターネットの掲示板でバンドメンバーを募集して、そこでオリジナル曲を練習したり。

初ライブは、私ひとりでステージに立ったんです、めちゃくちゃ緊張しましたけど笑。
でも、「こういう風に演奏したい」っていうイメージもあったんですね。「女子高生弾き語り」みたいなキャッチフレーズで、学校の制服のまま演奏して。

──初ステージをひとりで演奏というのは多くの勇気が要りそうですが、なにがfuuさんをそこまで駆り立てたのでしょうか?

え、なんでだろう?笑 …でも、やっぱり、自信もあったんですよね。「いい曲だから、絶対大丈夫!」と思っていました。

それに、「聴いている人を感動させたい。笑顔にさせたい」っていう気持ちが強かった。
だから、次はもっといいパフォーマンスをしようという気持ちでずっといれて、気付いたらステージを続けていたという感じですね。

3)仕事と音楽は、きっと両立できる。と思っていた。

朝の地下鉄。通勤中の人たち

音楽そのものを仕事にしたくない。もっと自由に関わりたかった。

──大学卒業後はIT企業に就職されましたが、プロのミュージシャンになろうとは考えなかったのですか?

「その道はまったく考えていなかった」というと嘘になりますが、ただ、プロのミュージシャンになることに、そこまで積極的になれなかったんですね。

もちろん音楽は楽しかったんですけど、だからこそ「音楽そのものを仕事にしたくない」という気持ちもあって。たぶん、もっと自由に音楽に関わりたかったんだと思います。それに、「仕事と音楽はきっと両立できる」と思っていましたし。

──実際に社会人になってからは、いかがでしたか。

当時は「初音ミク」や「着うた」などのコンテンツやサービスが登場して、「人の音楽との接し方」が大きく変容している時期でした。
私もそうしたデジタルコンテンツに関わる仕事がしたいと思って会社を選び、入社しました。

ところが、配属された部署は「インターネット広告」を扱うところで、コンテンツはほとんど携わらない。それなりに頑張っていくうちに楽しみも見つけられたんですけど、「じゃあこのまま広告のプロになるのか?」と言われるとやっぱりすごく疑問で。

それで、その会社で5年ほど働いた後に、別の会社に転職して。今度は会員数千万人の大規模サービスを運営する会社でした。
ただ、実際に任された業務は、そこでもやっぱり広告運営だったんですね苦笑。

その後、社内異動があって、私は「RPA」(Tips3参照)というシステムを使用した仕事を任されることになって、──ここに来てようやく、私は「この仕事は自分に合っている」と感じられるようになりました。

Tips2 RPAとは

RPAのイメージ

RPAは「ロボティック・プロセス・オートメーション」の略で、パソコン業務を自動化する技術です。普段人が行っている定型的な業務を、ソフトウェアロボットに任せることができます。

──RPAの仕事のどういう点が、「自分に合っている」と感じられたのですか?

RPAの仕事は、簡単に言うと「普段皆さんがやっている業務の、自動化できるところをどんどん自動化する」ことです。

事前に実際に業務をしている人に細かいヒアリングをしていって、「ここは自動化できそうだな」というところを見つけて、提案していく。
相手からは「この業務を自動化できるところなんてない」「ここは自分がやらないといけない」と言われたりするのですが笑、実際に試してみると、驚くほど業務を削減できることが多いんですね。

業務を削減できたら、常態化していた残業から解放できたり、その人が本当にやりたかった業務に集中できたりしますよね。
すると、皆が感謝してくれるんです。「ありがとう、とても助かったよ!」って。

──その感謝の言葉が、嬉しかった?

はい。私にとっては、これまでの目に見えない何千万のユーザーに向けてサービスを発信する仕事よりも、目の前にいる数十人に喜んでもらう仕事の方が、何倍もやりがいを感じられました。

RPAのロボットには名前をつけていたんですね。「ロボ子ちゃん」って笑。
それで、月に一度、社員の方々に向けてロボ子ちゃんからメールマガジンを発信するんです。「先月、私は〇〇業務を何時間何分働きました!皆さま、お役に立てましたでしょうか?」──実際に書いているのは私なんですけど笑。

すると、社員の方々の数名から返事のメールが届くんです。これまで全く面識のない人からも、「ロボ子ちゃん、ありがとう!いつも助かってます」って。
そういうやりとりが、すごく嬉しかった。やっぱり、生の反応が返ってくることが。

そして私は、不眠症になった。

──その後、RPAの仕事をされていた会社を退職されていますが、その経緯についても教えていただけますか?

一言でいうと、身体を壊してしまったんです。不眠症になってしまいまして…。

──え!どんなことがあったんですか?

RPAを用いて、毎月約1,000時間分の社内業務を自動化できたんですね。
ですが、RPAもコンピュータですので、ちょっとしたきっかけでエラーやバグが起きることもあります。
そうすると、その1,000時間を社員の方々に戻さなくてはいけません。「すみません、今月だけは社員の皆さんで対応していただけませんか?」って。
当然、それを言われた相手は困りますし、「いきなりそんなことを言われても困る」ってクレームに発展することもあって。

RPAのメリットは、24時間365日文句も言わずに働き続けてくれる点です。
彼らは私たちが寝ている間も業務をこなしてくれますから。ですが、トラブルが起きて急きょ「やはり人間に対応してもらいます」となれば、誰だって困りますよね。

そこで私は、RPAでエラーが発生していないか、常にチェックするようにしました。
当時はコロナ禍でテレワークが推奨されていたため、自宅でも仕事ができましたから、夜寝るときはベッドの脇にノートPCを置いて。

夜中にふと目が覚めるたびにPCを起動してRPAの稼働状況を確認し、エラーがあればその部分のプログラムを再実行して様子を見る、といった具合です。
それはあまり気持ちのよい作業ではありませんでしたが、翌日に何百人もの社員さんを困らせてしまうことを考えると、断然ましでしたから。

そうした生活を続けているうちに、いつしか眠れなくなってしまったんです。もはや、エラーの有無に関わらず、寝れない苦笑。

1週間のトータル睡眠時間が2時間程度になってしまったときに、これはさすがにまずいと思いお医者さんのところに行って睡眠薬を処方してもらおうと思ったら、「明日からもう仕事に行くな」と。診断は、不眠症、そしてうつ病でした。

仕事は続けたい。でも、責任は持ちきれない。

たそがれfuu

──その後、会社をしばらく休まれたのですか?

はい。トータル8ヵ月間、休職することとなりました。
3ヵ月おきにお医者さんに診てもらって復職できそうかを判断してもらうのですが、「まだ無理だね」って言われ続けて。その度に、「マジか…」という絶望。

その頃は薬の副作用もあったんだと思いますが、常に頭がぼんやりしていて、自分で何かを決めたりといった自発的な行動ができなくて、それでいて漠然とした、重たい辛さがある。

私は、その辛さは「仕事ができないことへの罪悪感」だと思い込んでいて、だからこそ仕事に復帰すれば解消されるはずだと考えていたんです。でも、お医者さんからは「ダメだ」という返答ばかり苦笑。
引き継ぎもほとんどないまま休職に入ってしまったので、RPA業務がどうなっているかも気になって仕方がなく、とにかく罪悪感が大きくて、そして早く仕事に戻りたかった。

──今でも、「あのときすぐに仕事に戻れていたら」と思うことはありますか?

ありますね。会社からは、「(もし復職できるようになったら)RPAの部署ではなく、もっと業務負担の軽いところから始めてみては」と勧めてもらっていたのですが、もし復帰していたら、私はきっと「またRPAの仕事をさせてください」ってお願いしていたと思います。

でも、そう強く思う一方で、「もっとライフワークを大事にしたい」という想いもあって。
RPAの部署に入ってからは、音楽をする時間はまったく持てませんでしたし、職場の周りの人たちを見ていても、仕事自体にコミットしているように見える。
私も休職するまではまさにそういう生活をしていたわけですけど、そんな働き方を「これから先もずっと続けていくか?」と自問したときに、強い気持ちでYESとは言えなかった。

つまり、「RPAの仕事は好き。でも、責任は持ちきれない」。

休職前、私はRPA部署のチームリーダーをしていました。でも、本音を言うと、チームのメンバーの人生なんてあずかり切れないし、バリキャリとか全然気にしたこともないし、お給料だってこんなにもらわなくても生活できる。休日は音楽のことを第一に考えていたい。

これは、多くの社会人が我慢したり、消化したりできていることだと思います。でも私は情けないことに、それができなかった。
昇進させていただくにつれ、「趣味」を減らして、「仕事」にコミットしなければ、という気持ちになっていく。復帰する、ってことは、「仕事」を選択する ということなんじゃないだろうかって。

そんな葛藤もあって、お医者さんから3度目の「(職場復帰は)まだ無理だね」と言われたとき、私は会社を辞めることを決意しました。

3)自分の「好き」を、大切にすること。

ライブをするfuu

みんなで、「音楽アルバム」を創ろう。

──会社を辞めてからは、体調は回復していったのですか?

そうですね。ただそれは、会社を辞めたから回復したというよりは、元気になる方向へと、自分から動いていったというのもあったと思います。

休職期間中はとにかく調子が悪くて何に対しても身体が動かない。頭も働いてくれない。だったら、リハビリも兼ねて自分の好きなことを少しずつやっていこうと。
好きなことだったら、まだ行動できそうでしたから。

地元には、「Bless」という通いつけのライブバーがありました。
そこのマスターはずっと音楽業界の第一線で働いていた人で、遊びに行くと、私の作った曲を聴いてくれたり、そこでアドバイスをしてくれたりと、仲良くしてくれていたんですね。
体調が比較的よい日はBlessに行ってみて、そこでマスターや常連さんと話しながら、元気をもらう。──そうやって、少しずつ回復していったような気がします。

Tips3 ライブバー「Bless」

ライブバー「Bless」

京王線 つつじヶ丘駅(東京都)にある、音楽と酒と楽しいことを愛する人たちのLive&Bar。週末には生演奏のライブを聴きながら、お酒と食事、そしてお客さん達との語らいを楽しめます。

住所:〒182-0005
調布市東つつじヶ丘1-1-8
アップルビル1F

営業時間:19:00~25:00
定休日:火曜・水曜

http://blessgaoka.com/

ある日、バーのマスターとその常連さんとの間で「音楽アルバムを創ろう」という話が挙がって。それを聴いて、「私も参加したい!」ってなって笑。

──楽しそうですね笑。どういう試みだったんですか?

元々音楽好きな人たちが集まるバーでしたので、皆「音楽」という共通の趣味があるわけです。それで、段々と常連組のコミュニティができてきて。
大体10人くらいの、「昔ギターを弾いていたんだよ」という人から、カラオケが大好きなサラリーマンまで。
何人かが「いつか自分の曲を作ってみたいよね」と話していたところ、マスターが「それだったら、本当に作ってみよう」って。

役割としては、マスターがプロデューサー。そしてお客さん一人ひとりが一曲を作ってくる。そして私は、アレンジャー。
アレンジャーというのは作曲者の作った曲やメロディーを実際に演奏・録音する形へ練り上げる人のことを言うんですが、さっき言った通りカラオケしかやってこなかった人たちもいましたから笑、作詞・作曲のところからお手伝いさせてもらって。

──「お手伝い」というのは、具体的にどんなことをやるんですか?

曲を作ったことのない人に対しては、「あなたが曲を作るとしたら、どういうテーマで書いてみたいですか?」って、訊くんですね。
日々思ってることとか、日記や手紙でもいいんだけど、どんなことを書きたいかをイメージしてもらいます。

そこから、「実はこういうふうに考えてる」といったその人の想いや、これまでの人生をヒアリングしていきます。そして、それを歌詞にしてみて、曲をつける。その人のオリジナルソングを、一緒に作っていくんです。

──そうやって作っていくんですね。オリジナルソングができた時の、相手の反応はいかがでしたか?

参加メンバーの一人に40代の会社員の女性の方がいて、はじめに彼女の人生における苦悩と解放を聴かせていただきました。私はそれを歌詞にして、曲をつけました。

デモが出来上がって、それを初めて聞かせたとき。彼女はイントロから震えだして、ギューッと私の手を握ってきました。

その手は、曲が終わるまでずっと震えていて、いろんな感情がそこから伝わってきて。私まで泣きそうでした。
曲を聴き終わったあとはハグをして、とても喜んでくれました。

Tips4 音楽アルバム「Greetings from Azalea Hills」

音楽アルバム「Greetings from Azalea Hills」

Live&Bar「Bless」の常連客たちで作成した、音楽アルバム。現在Vol.4まで制作されており、Vol.5を制作中。 最新作のVol.4は、以下のURLから視聴できます。

TuneCore Japan 「Greetings from Azalea Hills Vol.4 by Various Artists

──音楽アルバムの制作は、fuuさんにとってどんな経験になりましたか?

「幸せ」が連鎖する、素敵な経験でした!!

制作の過程で参加者の方々と一緒に一つの曲を作り上げるのも楽しかったし、その後アルバムをCDにプレスして、皆で頑張って売りながら、「売れたよ!」って報告をしあうのも楽しかったです。

町おこしみたいな側面で解釈してくださる方もいて、地元の新聞やケーブルテレビでも扱ってくれたんですよ!

その後、「また創ろう」という話になって、現在はVol.5を制作中です。
5回目になるとやっぱり皆どんどん成長してきて、「今回は自分で曲を書いてみる」っていう人たちがたくさん出てきて、今回は3曲しかお手伝いできなかったんですけど笑。

それから、Vol.4が完成したときに、私が全曲をカバーして演奏するライブを開催したんですね。
実際はおじさんたちがオリジナルを歌ってるんですけど、私が歌うと、「fuuちゃんが歌うとこうなるんだ!」って感動してくれて。
「いいね!」とか「俺の曲めちゃめちゃいい曲じゃん!」みたいなことを言ってくれて。それもまたすごく良い展開だった。

身近な人に、感動やサプライズを届けること

──音楽アルバムの制作やライブ以外にも、色んな活動をされていますね。それに、楽しそう笑。

そう、すごく楽しい。
気付いたら、自分のしたかったことが全部実現できていたんです。音楽をライフワークにした生活で、音楽が好きな人たちが周りに沢山いて、その人たちを喜ばせたり、感動させたりといったことができて。
今、職場のみんなは私のことを「fuuさん」って呼んでくれるんですよ。会社員時代にはいわゆる「仕事モード」「音楽モード」の切り替えスイッチがあったんですけど、今はいつでも「fuu」でいられる。

前職のRPAの仕事をしていたときと比べたら、お給料も減りましたし、キャリア組でもなければ正社員ですらない。それでも、今の私の方が幸せだと思うし、好きなことを大切に、毎日をワクワク過ごせています。

──とても素敵な生き方だと思います。
最後に、自分の「好き」を大切にできずに悩んでいる人たちに向けて、アドバイスをお願いできますか?

「好きを大切にする」。そう思うこと自体は、簡単かもしれません。
だけど、仕事であったり実際の行動・現実に落とし込もうとしたときに、やっぱり難しさがありますよね。

会社勤めをしていた時、ある研修で「外的キャリアと内的キャリアを合わせていきましょう」っていう講義があったんですね。まさに「好きを仕事にしましょう」的な話なんですけど。

外的キャリアと内的キャリア

「外的キャリア」というのは職業、役職、業種、職種、仕事内容など、他人からも見える客観的な事柄で、「内的キャリア」は自分の価値観・興味関心、それからやりがいや働きがいなど。

「好きなこと」というのは、「内的キャリア」に含まれますよね。そして、「外的キャリア」は、今の仕事自体だったり、会社から任されていることだったり、もっと現実的なこと。

私は社会人になってからずっと、好きなことと現実的なことが一致してなかったんです。どうやったら一致できるのかも分からなかった。

だけど、RPAの仕事をしていたときは、本当に楽しいと思える自分がいました。なぜそう思えたのかというと、私の好きなことって、音楽というより「身近な人に、感動やサプライズを与えること」そのものだったからです。

目の前のことにまず向き合って、頑張ってみることで、「自分の好きなこと」がよりはっきりと、より大きな概念として、見えてくることもあるのではないでしょうか。

そうこうしていくうちに、転機もやってくると思います。いくつかの選択肢があって、どれかを選ばなくてはならないタイミングが、人生には必ず訪れます。
──その時こそ、自分の軸を優先する。単純に、「こっちが好きだな。今、これをやりたいな」っていう方を選んであげる。

そうしていくことで、外的キャリアや内的キャリアといった言葉などに囚われない、その人にとってのもっと深いテーマに、人生を近づけていける。

私の場合は、身体を壊して休職して、「復職するか、別の道を選ぶか」を選ぶ必要がありました。そこで「音楽」のある今の生活を選んで、それで以前よりも毎日を楽しく過ごせているわけですが、それは単純に「こっちを選んだからこうなった」というものではなく、会社員時代の経験があったから。

ずっと音楽が好きで、クラシックをやるよりも映画のテーマ曲をやりたくて、一人でもステージに立って周りの人を感動させたいと思って。でも気づいたら広告の仕事、そしてRPAの仕事をして。
大変なことの方が多かったけど、そのなかで、段々と自分の本当に好きなこと、やりたいことが分かってきて。

だから今、自分の「好き」と私自身が、ひとつになった状態でいられるんだと思います。

fuu ライブ風景

fuuさん アルバム情報

fuu 「生まれた日から」

生まれた日から
アルバム • 13曲 • 50分(2021-06-26)

「親が自分を産んだ歳に追いついて、世界のからくりが少しずつわかってきた。大人は歳をとった子供だった。生きている限りずっと未完成な生き物だった。だから私はいつまでも自由に、未完成な生き物たちの物語を作り続けていきたい」

https://linkco.re/cGRtF3tm?lang=ja

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