『仕事のワクワクを探す旅』インタビュー#002
CHAOさん|ブレイキンと一輪車で世界の舞台に立ち、現在は玩具店・飲食店の17店舗を経営
苦労や失敗は、人生の糧。
逆境を乗り越えた先に、共感と笑いが生まれる最高のストーリーが待っている。
16歳 | ダンスを始める |
22歳 | カナダ留学し「BAG OF TRIX」のメンバーとして活動。中南米バックパッカーの旅 |
24歳 | フィギュアの収集や作成に没頭。専門誌にフィギュア改造作成例として掲載される |
26歳 | 世界大会「Battle Of The Year」で準優勝 |
28歳 | 単身渡米し世界的チーム「HAVIKORO」のメンバーに。数々の大会で優勝・入賞を果たす |
29歳 | おもちゃ屋を起業(2024年10月現在 11店舗) |
35歳 | エクストリーム一輪車に挑戦し、世界選抜チームにも参加 |
38歳 | 42カ国121都市を巡る世界一周の旅を決行 |
39歳 | 旅のプロジェクトを発足し、旅フェスを主催。シェアハウスや旅カフェを運営 |
40歳 | 飲食店を始める(2024年10月現在 6店舗) |
41歳 | 台湾を一輪車で縦断 |
49歳 | WDSFオリンピック審査員ライセンスを取得し、国内外で審査員を努める |
この他にも様々なプロジェクトに関わり、今なお多くの人たちに影響を与え続けているチャオさんの、行動力の源泉、そして逆境をプラスに変えてきた思想・価値観について、赤裸々に語っていただきました。
目次
1)世界的ブレイクダンサーが「おもちゃ屋」を始めた理由
「何をして働こう?」って考えたけど、なかなか決まらなかった
16歳でブレイクダンスをはじめ、国内外のダンスコンテストで数多くの賞を獲得。
2000年には所属チーム「WASEDA BREAKERS」の主要メンバーとして、世界大会「Battle Of The Year」で準優勝。
途切れのないトリッキーなムーブとオリジナリティ溢れるダンススタイルで、国内のみならず海外のダンサー達からもリスペクトされ続けていたCHAOさんが、「おもちゃ屋を始める」と言い出した時は多くの人が驚いたといいます。
──きっとたくさんの人から同じ質問をされたと思いますが、なぜ「おもちゃ屋」を始めたんですか?
僕は元々生粋のオタクで、自宅には1万5千冊の漫画がありました。フィギュアのコレクションもあり、そのジャンルに関しては「日本一のマニア」と自負するくらいハマっていました。
26歳の頃、フィギュアショップを巡っていたら「うちで働いてみないか」とスカウトされて笑。その時はアルバイトでしたが、商品の値付けや仕入れも任せていただいて、海外に商品の買い付けに行くこともありました。
朝10時から20時まで仕事をして、それから深夜から早朝までダンスの練習をするという毎日でした。それなりに大変だったけど、なんか満たされる感覚もあって、「こういう働き方もいいな」って思ったんですよね。
26歳のとき、ブレイクダンスの世界大会「Battle of the Year」で準優勝して、「ダンスでもっとチャレンジしたい」と思うようになりました。当時、アメリカのテキサスでとてもユニークなスタイルで踊るB-BOY達がいて、「この人たちと一緒に踊りたい!」と単身渡米。その後はテキサスでダンス修行に励みました。
Tips1 Battle of the Year
1990年から毎年行われているブレイクダンスの世界大会。ブレイクダンスの「ワールドカップ」とも呼ばれ、国単位の予選で優勝したチーム+前年の優勝チームが本戦への参加資格を有します。
上の動画はCHAOさんの所属した「WASEDA BREAKERS」とドイツ代表「Flying Steps」の、本戦の決勝バトルシーン(2000年)。
気付いたら、もう29歳です笑。あるとき「踊ってばかりいないで、さすがに日本に帰って定職につかないとヤバイ」という焦りが出はじめて、帰国しました。
日本に戻ってからも「何をして働こう?」と悩んでいて、結局、半年間以上ニートみたいな生活を送っていました。
これよりだいぶ以前の話ですが、23歳のときにコンピュータ製造の下請けを経営する父のもとで、半年くらい働いていた時期がありました。
PCの部品をお客さんの注文通りにピックアップして製造ラインに投げる作業だったのですが、働き出すと、時間が止まるんです笑。
そろそろ1時間くらい経ったかな?と時計を見ると10分しか経ってなくて笑。たくさんの注文も入ってきていたし、普通ならやりがいを感じられる仕事だったんだろうけど「自分には無理だな」と。
いくら頑張っても、コンピュータ部品を扱うという仕事内容に全く興味を持てませんでした。
この時の経験から、「仕事をするなら、自分が熱中できる好きなこと」と決めていました。ですが、ダンスを仕事にするのは、なんか引っかかっていたんです。ダンススタジオを開いて、知り合いのダンサーに声をかけて、というイメージは付くのだけど、ダンスに関しては仕事としてではなく「別の形で貢献していきたい」という想いがあった。
それが何なのかはわからなかったけど笑、まったく違う世界で挑戦するほうが僕に合っていそうでしたし、きっと面白いだろうと考えました。
大切にしたのは、「カマす」という行為
──チャオさんが求めている「面白さ」とは、どんなものだったんですか?
いくつかあって、一つが「人の繋がりとその拡がり」ですね。ダンスや一輪車でもそうだったのですが、一つのことをやり続けて、そして上手くなることによって、たくさんの人達と出会えるようになります。
始めた頃は雲の上のような存在だった人ともいつしか仲良くなれたり、ステージに一緒に立つことになったり──、そういうのはとても楽しかったし、達成感がありましたね。
もう一つが、「カマす」こと。
僕がずっとこだわってきたことで、思い返せば、これがおもちゃ屋を始めた一番の理由だったのかもしれません。僕のことをダンサーでしか知らなかった周りの人たちから、「え!なになに?どういうこと?」ってなるだろうと思って笑。
──「カマす」というのは、「人を驚かせる・感動させる」ということでしょうか?
うーん。ちょっと違うかもしれません。人を驚かせたり感動させたりするのは、相手の感情に直接働きかける行為ですよね。「カマす」は、それよりも自分本位、自己満足の感覚が強いと思います。
自分の強い感情や意思が、ダンスのムーブなどで表現できたときに、「おおお!!」って反応が返ってくることがあります。自分が本気で編み出した「なにか」が、相手に強く響いたとき。そして、その響きが自分自身にも返ってきたとき。それが「カマした!」だと思います。
──SNSの「バズる」みたいな感じですかね?
いや、それとも違いますね笑。「バズる」って、極論「嘘でもいい」というか笑。また、「バズった事実がすべて」になりがちで、それまでの過程が注目されることはあまりないですよね。
ですが、「カマす」は、過程があってこそ成り立つものです。
例えば、2009年のWBC決勝で、大会中ずっと不調だったイチロー選手が最後に決勝タイムリーを打った時。あれこそまさに、「カマす」じゃないですかね。
Tips2 第2回WBC決勝 日本×韓国 打席に立つイチロー
2009年のWBC決勝、対韓国戦でイチローは2死二・三塁から逆転打となるセンター前ヒットを放つ。
同大会で不振が続いていたイチローは、試合後に「個人的には想像以上の苦しみ、つらさ、痛覚では感じない痛みを経験した。谷しかなかったです。最後に、山に登れて良かった」とコメント。
つまり、僕のイメージする「カマす」とは、結果だけでなく、努力や工夫といったこれまでの過程があって、初めて実現しうるものなんです。
──もちろん、僕がおもちゃ屋を開いたことと、イチロー選手の決勝タイムリーが同じとは思っていませんよ!笑
Tips4 おもちゃ屋「ハビコロ玩具」
日本のアニメキャラクターを中心としたフィギュア・おもちゃの販売ショップ。2024年現在、東京の秋葉原・中野を中心に11店舗が営業しています。店名の「ハビコロ」は、CHAOさんが渡米時に所属していた世界的ダンスチーム「HAVIKORO」に由来。
参考サイト: 「ハビコロ玩具」
2)起業してからの20年間、めちゃくちゃ大変なことばかりだった。
起業3年目に訪れた、1,800万円損失の危機
──現在(2024年10月)はおもちゃ屋を11店舗、それから飲食店を6店舗運営していますが、起業してからは順調に進んだのですか?
いやいや全然!笑──めちゃくちゃ大変でしたよ。何せまともな社会経験がなく、名刺を渡す際も上下逆にしていたくらいですから。
商売のことも全くわかっていませんでしたので、おもちゃ屋を始めて3ヵ月間は売上がまったく立ちませんでした。お客さんは全然入らないし、一方でお金はすごい勢いで出ていきました。
僕以外に誰もいない店内できらびやかに輝いているショーケースの、その電気代すら恨めしくなってコンセントを引き抜いたりしていました。営業中にお店の扉を閉めて号泣したこともありました。「なんでオレはこんな無謀な事をやってしまったんだ!」と。
商品への知識には自信あったけれど、当然それだけでは駄目でした。当時の僕は、経営というものが全くわかっていなかったのです。
だから、自分のわかる範囲、できる範囲で少しずつやり方を変え、工夫して。──すると、半年過ぎたあたりから、ちょっとずつ変化が見えてきたんです。
──諦めずにトライ&エラーを重ねていったんですね。
本当にその通りです。でも、その後もトラブルは絶えませんでした。そして、3年目に入ってようやく軌道に乗ってきた矢先に、1,800万円の損失事件が発生しました。
──1,800万円!?どんなことがあったんですか?
おもちゃ屋などの小売業は、メーカーから商品を仕入れる際は必ず問屋さんを経由します。僕には創業当初から二人三脚で並走してくれた問屋の社長さんがいたのですが、その問屋は経営が悪化して、自転車操業の状態だったんです。
当然僕はそのことを知るよしもなく、その社長さんのことを信頼していましたので、彼から商品を仕入れる際は発注をかけたタイミングでお金を支払っていました。通常は「掛け売り」といって、商品が提供された後に支払うのが一般的なんですけどね。
ところが、ある時に届くはずの商品が一切届かない。更には、問屋さんに連絡しようにも音信不通で連絡が繋がらないんです。あの手この手で確認して、ようやくその問屋さんが経営破綻していたことがわかりました。
自己破産の手続きもしていて、支払っていた3ヵ月分の商品代金(1,800万円)は戻ってこず、もちろん商品も入ってきませんでした。
まさにこのときも「カマサれた!」でしたね。これは悪い方の「カマす」ですが苦笑。
──うわーー、それはキツすぎる…。どのように切り抜けたんですか?
さすがにもう、「これは終わったな…」って思いました笑。創業してまだ2年しか経ってないですからね。現金1,800万円を得るためには、その何倍も売上を出さなければなりません。
さらに、その売上を作るために必要な商品も、この先3か月間入ってこない。
ですが、せっかくこれまで頑張ってきたお店を、ここで終わらせるわけにはいきませんでした。とにかく商品を確保しようと、他の問屋さんを駆け回って商品を仕入れなおしたり、他のお店から売値で買ってきて利益無しで店頭に並べたり、もうあらゆる手段を尽くしました。
そんななりふり構わずの行動が功を奏して、結果的に良かったこともありました。新しい安価な問屋さんと出会えたり、メーカー直営店との繋がりができたりしたのです。
また、仕入れ先を分散することでリスクヘッジする大切さも学びました。この一件以降は、安定して商品の仕入れができるようになり、新たに店舗展開するきっかけにもなりました。
「辛かったこと・ショックだったこと」ことのほうが、思い出として鮮明に残る
問屋さんとの一連の事件以外にも、起業してからの20年間、大変だったことはたくさんありましたね。
東日本大震災のときは、地面の液状化で文字通りお店が傾きました。また、ビックリするくらいの額の横領事件もありました。
記憶の新しいところで言うと、コロナ禍のときはマジで辛かった…!
僕は常々「今がしんどくても、半年後には笑っている自分をイメージして頑張ろう!」と心がけているのですが、この時ばかりは半年どころか2年経っても全然よくなる気配すらしない。コロナに罹患する前に、精神崩壊の危機でした笑。
減っていく通帳の残額を日々眺めては「このまま行くと1~2ヵ月後にはショートしてしまう」と焦りながらも、得意のカラ元気で乗り切っていました。でも、カラ元気なんかではどうにもなるわけなくて。
通販事業を拡大したり、飲食ではラーメン屋をオープンしたり、更にはテイクアウトやデリバリーと常に駆け回ってましたね。
飲食店は協力金などの国からの支援があったのでまだ良かったのですが、ほとんど保証がなかったおもちゃ屋の方は、マジで瀕死状態でした。
うちだけでなくあの時期を生き抜いた同業界の人たちは、相当鍛えられたと思います笑。
──お話をうかがっていて、逆境に遭遇しても諦めずに行動し続けているのが、すごいと思いました。
多分それはそんなにすごいことではなくて、誰でも「背水の陣」になったら、やるんじゃないかな?だってもう頑張らないと潰れるしか道はないんだもん笑。
それから、「楽しかったこと」よりも「苦労したこと」や「ショックだったこと」のほうが、絶対的に今後の人生の糧にもなると思いますしね。
絶体絶命のピンチが立ちはだかったら、もちろんそれを乗り越えるんですが、あまり深刻になり過ぎずに「語れるネタができてラッキーだな」くらいに思うようにしています。
僕は38歳のときに世界一周の旅に出たんですが、帰国してから皆が面白がって話を聞いてくれるのは、やっぱりトラブルの話や苦労話なんですよね。
「景色がきれいだった」「遺跡に感動した」という話よりも、「砂漠での気温50度越えの中での登山はマジで死ぬかと思った」「長距離バス内での大洪水レベルの雨漏りは悲惨だった」とかの話のほうが盛り上がるし、自分自身も話していて楽しいですしね笑。
ダンスや一輪車だって、トレーニングしているときはしんどいです。結果が出て、「楽しい」と感じるのは一瞬の出来事です。楽しいことだけでは、人生を豊かにすることはできないと思うんですよね。
3)どうやって、「迷いない一歩」を踏み出すか。
「くすぶっている」は、悪いことではない
──もし身近に「新しい一歩を踏み出したいのに、くすぶってしまっている」と悩んでいる人がいたら、CHAOさんだったら、どんなアドバイスをしますか?
僕は、「くすぶっている」というのは悪いことではないと思っています。だって、それは火を熾しているということでしょ?ちょっとしたきっかけで、大きく燃え上がるってことですよね!?
無理に「現状への不満」だったり「もっとこうしたい」という欲求を押し殺してくすぶっていた火を完全に消してしまうほうが、もったいないなと思います。
それから、これも色んな人が言ってるけど、新しいことを始めるのに「遅すぎる」ということは絶対ないと思っています。
大事なのは自分の気持ちなので、「今ここで死んでも後悔はない!」って思える選択をしていくのがいいのではないでしょうか。
人は何歳からでも新しいことを始められるし、そこで楽しむことだってできる。
僕も35歳からエクストリーム一輪車を始めて、40歳で飲食店を始めて。台湾を一輪車で縦断したのも41歳の時でしたからね。
今年は51歳だけど、またこれから何かカマせるような事をやろうと思ってますよ笑
外からの影響を受けることで、人は新しい行動が生まれる
──インタビューを通して、CHAOさんはまさに「行動し続ける」生き方をしていると感じました。新しい行動を生み出すために、意識していることはありますか?
意識しているかどうかはともかく、一つのこと(ダンス)をとことん追求して自分の軸を確立させることは大事だと思っています。
それから、僕の場合は「旅」の経験が、新しい行動やチャレンジに繋がることは多かったです。
これもやっぱり色んな人が言っていますが、くすぶっていたり、行動できずに悩んでいるのなら、ぜひ旅に出てほしいなと思います。できたら、世界中を数ヵ月かけて巡るような旅がいいですね。
旅の何がいいのかって言うと、それ自体が一つの成功体験になるからです。
世界各国を周るような旅になると、やっぱり楽しいことだけじゃなくて、色んなアクシデントもあって、むしろ大変なことの方が多いです。でも、不思議と旅を途中で挫折する人はほとんどいない。出発したらもう進むしかないですからね笑。
それと、「旅は若いうちにした方がいい」という言葉もあるけど、僕はむしろ大人になってから行く旅こそに浪漫や意味があると思っています。
色んな経験を積んできた視点だからこそ、気付けることがたくさんあります。また、若い頃はどうしても楽しむことだけに意識が行ってしまうけど、大人の旅となると自ずと今後の生き方や働き方と照らし合わせながらになると思うんです。
僕の後輩に「カツオ」という男がいるんですが、離婚して家も追い出されて、無職でくすぶっている状態だったので「世界一周の旅に出てみたら?」と提案したんですね。
すると彼は旅の途中で新しいビジネスを思いつき、帰国後に起業して十億以上の売上を叩き出したんです。さらには旅先で今の奥さんと出会ったという笑。
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──旅のパワー、すごいですね笑。一方で、「旅に出ようにも、仕事や家庭があってなかなか実現できない」という人はどうすると良いでしょうか?
今すぐでなくても、仕事や子育てにひと段落を付けられるタイミングを見つけられればいいと思います。ですが、それでも「やっぱり数ヵ月単位の旅は難しい」という人は、「自伝」を読んでみるといいのではないでしょうか。
僕もけっこう色んな方の自伝を読んでいて、歴史上の人もそうだし、最近の人のだとHIRO さん(元 EXILE リーダー)の『Bボーイサラリーマン』や藤田 晋さん(元サイバーエージェント代表)の『渋谷ではたらく社長の告白』、島岡 由美子さんの『我が志アフリカにあり』、ロドニー・ミューレンさん(プロスケーター)の『ザ・マット』、斉須正雄さん(レストラン コート・ドール シェフ)の『調理場という戦場 コート ドール 斉須政雄の仕事論』など、色々読んだけど、どれもすごく面白かったし、刺激になりました。
自己啓発本は、あまりおすすめしないですね笑。いいこともたくさん書いてあるし、学びになることもあるけど、「本を読んで、起業しました」「新しいチャレンジができました」っていう人って、ほとんど聞いたことないんですよね。
でも、「〇〇さんの自伝を読んで、自分も起業した」「◯◯の本の影響を受けて、世界一周の旅に出た」という人の話は、よく聞きます。
自伝ってそもそもがリアルだから、感情移入できて、割とずっと心に残ったりするんですよね。擬似体験ができるというか。成功談だけでなく失敗談、また様々な葛藤も出てくるので、そのなかで自分と重ね合う場所を見つけて、そして「自分だったら…」と想像を膨らませることができる。
僕も世界一周の旅に出ようと思ったきっかけは、石田ゆうすけさんの『行かずに死ねるか』という本を読んだ影響だったんですが、行って本当によかったと思っています。
Tips5 『行かずに死ねるか』(著:石田ゆうすけ 幻冬舎文庫)
「平穏な人生?それが運命なら自分で変えてやる!」と決意して、7年半にわたり自転車で世界を旅した著者の大興奮紀行エッセイ。
中南米の砂漠では強盗に襲われて、両手足を縛り上げられながらも「自転車だけは残して欲しい」とお願いしたら、それだけは残していってくれて──。旅先での様々なアクシデント、そして人の出会い・別れが、色鮮やかに綴られています。
Tips6 古民家フレンチ KUFUKU± (暮富食)
CHAOさんが築75年の古民家を改装して立ち上げた、イノベーティブフレンチレストラン。「時間」をテーマに日本の伝統的な発酵や熟成、日本各地の食材をフランス料理にアレンジ。
時を経ることによって生まれる味わいと空間を提供します。
参考サイト: kufuku_restaurant(Instagram)
結局、人は外からの刺激を受けることで、新しい行動を生み出せるんだと思います。
もちろん、生きていれば綺麗事ではすまされない時こともたくさんあると思うし、「ライスワーク(Rice-Work)」という言葉にあるとおり、生活のために働かないといけない時もあると思う。
でも、それで「本当はこんなはずじゃなかった」「もっとこうしたかった」って、ずっとモヤモヤし続けてしまうんだったら、本当にやりたいことに向けて行動した方が絶対いい。今すぐでなかったとしても、準備を始めるとか。そうしないと、きっと後になって後悔すると思うんです。
たとえそこで苦労したり失敗したとしても、それ自体きっと糧になるし、その「失敗談」で人を楽しませることだってできるしね笑。